御伽怪談第二集・第一話「悲しき抜け首」
一
昭和の見せ物小屋では、チャチな作りのろくろ首が、三味線を爪弾きながら首を伸ばして見せてくれた。もちろん作り物に過ぎないが、本物のろくろ首の多くは、このような伸びるものではない。抜ける首が多いのだ。これを古くは〈飛頭蛮〉と呼んだ。この言葉は今では忘れられたもののひとつである。
抜け首は、死んだ者の霊魂ではなく、生霊のひとつだ。別名を〈離魂病〉と呼ぶ。生きながら魂が離れる病……だから、ろくろ首のことを〈化け物〉と呼ぶのである。ろくろ首は深い業を持つ者が生きながら変化する化け物の一種なのだ。
さて、越前の国・喜多の郡は、今で言う北の庄・福井のことである。そこに伊上藤左衛門と申すサムライがいた。彼は二十代前半の若者であったためか、藩から雑用ばかりを押し付けられていた。
寛文二年(1662)五月の初め、琵琶湖から日本海にかけて、大規模で広範囲な地震が起きた。近江・若狭はもちろんのこと、京大阪まで甚大な被害をもたらしたと言う。
藤左衛門は、ここ何日も不眠不休に近い状態で、災害調査に駆り出されていた。さらに京大阪を調査するため、ひとり旅を命じられていたのである。彼が下級武士であり若かったからか、それとも緊急事態であったためか、ひとりのみの移動であった。
藤左衛門が、もう少し身分が高ければ、あるいは歳を重ねていれば、荷物持ちくらいは付けてもらえたことだろう。普段なら同輩と旅することも多かった。だが今回はひとり旅。しかも夜駆けの道を急ぎ京へ向かっていた。若狭から福井、小浜へと向かい、その後、鯖街道を通って京都へ入る、そんな予定であった。
藤左衛門は髭を剃る暇もなく、無精髭のまま早足で歩いていた。夜の道も、昼の道も慣れていたが、地震の影響でかなり地形も変わっていると噂されていた。
——琵琶湖沿岸は水害で壊滅してござる。
そんな話まで飛び交っていたのであるが、確かめる訳にはゆかなかった。とにかく急いで京に着く必要があった。本来なら琵琶湖周辺を歩くが、もし壊滅していたら歩くに歩けない。藤左衛門は危険を避けて少し遠回りの道を選んでいた。
若狭からの海産物は鯖街道を通って大阪へ売られていた。大阪は天下の台所。旨い物は高値で売れた。もし、上方への道が被害を受けていたとしたら交易は途絶えてしまう。そんなことを憂いながら、藩からの命令で夜駆けしていたのである。
その日は五月の十三夜。もうすぐ満月ぇある。五月の満月は魔物が騒ぐと言う。魔物が騒げば獣も騒ぐ。人の心も騒がしくなる。ただの迷信かも知れないが怪しい季節のはじまりであった。
昼は歩き、夜になった今もひたすら歩いていた。藤左衛門は一日で京都に着くつもりで足早に歩いていたのである。芽吹いたばかりの熊笹が脚絆を擦ってゆく。素足なら傷だらけになることだろう。だが歩ける限り気にはしていられない。とにかく先を急がなければ……。
月夜を歩いているとトラツグミの声が響いた。夜のこの鳥は不気味である。トラツグミは年中おかまいなしで鳴くものだが、夜中に聞く笛のような鳴き声は、いかにも不吉な感じがした。
――夜に口笛を吹くと蛇が来る。
藤左衛門はそんな諺を思い出していた。
ニ
縁起はかつぐが迷信は信じなかった。藤左衛門はそんなお固い性格であった。彼には想像力と言うものが欠けていた。もっとも、サムライである身に想像力など必要なかった。ただ命じられたままに働けば良い仕事であった。
夜歩を進んで行くと、春の日の土や草の匂いが漂っていた。急いでいたことと、満月が近く、道に慣れていたこともあり、今回は小田原提灯を持っていなかった。月明かりで十分だと思っていたのである。
夜の道は慣れているとは言え、ところどころに深い影が差して、歩くことは難しかった。十三夜の月明かりは、目が慣れてしまえば明るかった。だか、夜の景色にも影は出来るものだ。しかも五月の暗闇には毒虫も潜んでいる。ここで何かに刺されでもしたら、昼夜通して歩いたことが無駄になるかも知れなかった。だから藤左衛門は、極めて注意深く歩いていたのであった。
夜の道は退屈だった。景色を楽しむこともなく、ひたすら前だけを見て歩く。昼間は美しい景色も夜は同じに見え、今、どこを歩いているのかも分からなかった。
疲れてくると、道端にごろ寝して少しだけ休んだ。出来る限り見晴らしの良い場所に陣取り、まわりに携帯用の鎖鎌の鎖をめぐらし、その先を握って眠る。これは山犬や蛇などが近づいて来るのを察知するための心得である。もちろん皮足袋と、鯨の皮を編み込んだ草鞋は忘れなかった。これがないとすぐに草鞋が擦り切れてしまう。夜には草鞋を買う場所すらないのだから……。
途中、沢谷と言うところの野原を過ぎた頃、大きな石塔がぼんやりと見えた。野垂れ死にした者の供養のためであろうか? 朽ちかけた石塔は苔むしていた。
建てられた当初は、ハッキリとした五輪の形であったのだろう。だが風雨に丸みを帯びて、今はその面影を残すのみである。何やら線香めいた陰気な臭いもした。夜の月はおぼろにかすみ、闇を照らしている。色はなかった。まるであの世の景色のように色あせていた。
そんな不吉な感傷にひたっていると、ふと、石塔の影からニワトリが飛び出して道を塞いだ。暗かった。ハッキリと見えた訳ではなかった。だが、そう感じた。よくよく目を凝らして見ると、何と女の生首であった。
青白い月明かりの中で、さらに青白く光る生首はケタケタと笑い声を上げた。月明かりに女の声が響く。生首は長い髪を束ねて引きづると、こちらに向けて目を見開いた。それはまさしく抜け首の〈ろくろ首〉であった。
藤左衛門は、一瞬、血の気が引く思いがした。まさかこんな所で、ろくろ首に出会うなど思ってもいなかったのである。それはろくろ首の方も同じこと。まさか、こんな夜中にサムライに出会うとは思ってなかった様子で驚いていた。
藤左衛門は、慌てず騒がず生首を睨んだ。
ろくろ首も、藤左衛門に睨み負ける訳にはゆかなかった。サムライが化け物を狩ることは誰でも知っていたのである。もちろん、ろくろ首も正体は生霊。ただ業が深いと言うだけの、まだ生きている人間なのだ。ここで狩られてしまえば本体も死にかねない。
藤左衛門は刀に手をかけ鯉口を切った。その動きは、ろくろ首にも理解出来、目が大きくなって刀を見た。
藤左衛門は、鼻でゆっくりと息を吸いはじめ、少し刀を抜きかけると息を殺した。
ろくろ首にも、サムライが抜き打ちに切ってくることは分かりきっていた。
三
いくら化け物でも、本来なら切られる覚悟をして、神妙にするだろう。しかし、今は首だけの姿。飛んで来る刀を避けるなど造作もないことであった。
一瞬のことである。藤左衛門が気合いとともに刀を放ち、あたりの草ごと切り払った。太刀風が吹いて草が舞う。だが手応えはなかった。
——外したか?
そう思った瞬間、二の太刀を放っていた。
次の太刀筋は、上段正面から振り下ろすものであった。上から殴るように振り下ろせば、もし外れても、肩かどこかに当たるだろう。それを考えての一撃であった。しかし、相手は首だけの女。肩など最初からなかった。やはり手応えはないまま、地面に刃先が当たってカチンと火花が散った。あたりがにわかに明るくなった。
生首の目が驚いて大きく開いた。
ろくろ首が太刀筋を避けたようには見えなかった。そんなことが出来るのは武術の心得がある者だけだ。しかしこのろくろ首に、それがあるとは思えなかった。
——太刀を避けたのか? さもなくばすり抜けたのか?
そう考えると、すり抜けたとしか考えようがなかった。
化け物と戦った経験のない、ましてや陰陽師ですらない藤左衛門は、切る時に心の中で唱える祭文がいることなど、まったく知りもしなかった。だから生首は刀をすり抜けてしまっていたのだ。もし藤左衛門の身分がもう少し高く、先祖伝来の業物の太刀でも持たされていたら、少しは違っていたかも知れない。業物には単体で祓う霊力が宿っているのだから。
藤左衛門が焦って、
——ここで逃がしては人に祟るかも知れぬ。
と思った瞬間、首は京をめさして逃げ出していた。生首はまるで暗闇の奥に溶け込むように見えなくなっていった。慌てて追うと、あちらこちらを擦りむいた。急ぎ旅ではあったが、化け物退治が優先だろう。それは下級とは言え、武士の務めと言うものだ。
化け物を表す〈もののけ〉は、滅び去った物部一族の闇をさす言葉だ。物部の別の一派が〈もののふ〉と呼ばれてサムライの祖先となった。
化け物は、人の世に害をなし恨みを晴らす。
サムライは、その恨みから民を守らなければならない宿命を持つ。これは物部の末裔の、言わば身内の戦いなのだから。
得体の知れない薄暗さがどこまでも続いていた。追いかけているのは正体不明の化け物。時々、生首を見失いそうになった。何とか目を凝らして追い続けると、やがて生首が府中の上市と呼ばれる町の、とある民家の窓に消えるのを見た。
藤左衛門は不審に思い、建物の門でしばらく佇んでいた。急いでいたためか息があがっている。落ち着こうとして、ゆっくり呼吸すると、夜風が冷たかった。
——生首の正体はこの町屋にいるのか? 今度こそ逃しはするものか。
覚悟を決めると、いつの間にか息は落ち着いていた。中の様子を伺いながら聞き耳を立てると、突然、女の声がした。
「あぁ、怖ろしや恐ろしや」
「なんや、どないしたんや」
夫も起きて来た様子。
「今、夢で沢谷を通った時、見知らぬ男が現れて、わらわを切ろうと……」
女の泣きじゃくる音がした。
四
「ささ、そないに泣かんと、夢やで、夢」
「ようやくここまで逃げては帰ったが、夢から覚めて冷や汗となり申した」
と、物語りする声が終わった。
藤左衛門は刀を収め町屋に声をかけた。
「案内乞う。誰かおらぬか?」
戸を叩くと、明かりが点いて戸口が開いた。
「何ですのん、こないな夜中に……」
寝ぼけ眼の亭主が顔を出した。
藤左衛門は、
「不思議なことながら、拙者は沢谷で化け物に出会い、追いかけて来た者にござる」
「えっ?」
中を見ると、生首の女が怯えていた。
藤左衛門は叫んだ。
「さては、ろくろ首とは、おのれであったか」
女を睨むと手は刀に掛かっていた。
女は恥ずかしそうにうつむいた。
藤左衛門が鯉口を切って、また叫んだ。
「人の身でありながら、かような災害の時に、世に寇なす化け物になりさがるとは、なんたることぞ」
憎悪の目を向ける藤左衛門であった。女は絶望したような眼差しで、慈悲を願うものか、
「あ、あれは夢かと……本当のこと……」
力なく言い訳する女に、藤左衛門は、
「浅ましさ、罪業の深さは測り知れぬもの。まだ人の心あれば、直ちにそこに直れ。成敗してくれよう」
ギラリと刀を抜き放った。亭主は慌てふためき止めに入った。
「ま、待っておくれやす。いくら、ろくろ首やからやと言うて、まだ幼い子もおる身」
「何、子だと?」
亭主が震えながら答えた。
「へ、へぃ、二歳の息子が……」
女は両手で顔を隠して泣きながら、
「わらわも罪深く、恥ずかしき限りでございます。ただ息子に別れを告げる間だけ……」
その後、何か言っていたが、泣きじゃくる声で聞き取れなかった。
藤左衛門は困った。抵抗されるなら切れば済む。だか泣かれては……しかたなく、
「殊勝なことにござる。この上は、尼寺にでも得度して、人の世に尽くされよ」
と、申し、亭主にもそう告げた。
夫婦はそのことについて、ヒソヒソと話した。
「あのような、浅ましき姿を見られては、もはや、生きてもゆけせぬ。あぁ悲しや」
「何としようぞ」
夫婦は涙ながらに話し合うと幼い息子を起こした。そして、藤左衛門に、
「これより女房は都へ向かい、尼寺に得度して、被害に遭われた人々の菩提を弔い、一生を終える所存にござりまする。何卒、わが女房を都にお連れくだされ」
と、亭主は嘆願するのであった。
藤左衛門は同意したが悲しい別れを見ずに過ごした。家の外に出ていたのである。藤左衛門には幼い頃、母を亡くした経験があった。別れの辛さは身に染みていた。
しばらくして、女房が出て来た時、泣きはらした女と、まだ泣きじゃくる子供の姿を目にした。亭主は暴れる息子を抑えたまま、
「早く、早く行っておくれやす」
と叫ぶのが精一杯であった。母を呼ぶ慟哭のような幼な子の声が耳にいつまでも残っていた。これから京の都まで約二日。被災地に向かう奇妙な女連れの旅は、どのようなものになるのであろう?『曽呂利物語』より。
この女は、やがて京に上り、髮を切って尼僧になった。嵯峨野の奥に庵室を結び、震災で亡くなった人々の菩提を弔ったそうである。後には大往生したとも伝わっている。〈了〉
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