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播磨陰陽師の独り言・第十八話「トテッポ」
その昔、十勝には〈トテッポ〉と呼ばれる小型の蒸気機関車が走っていました。砂糖用のビート工場から、どこかに向かって走っていたらしいのですが、それがどこなのか知りません。たぶん、帯広駅につながっていると思います。どこか夢の国につながっていて欲しかったです。
トテッポは、従姉妹の家の横を走っていました。従姉妹の家へ遊びに行くと、通り過ぎるトテッポに皆で手を振っていました。
従姉妹の家から、トテッポの向こう側の辺りに、十メートルくらいの崖がありました。
急な崖ですが、細い木々を掴みながら登ると、大きなグランドと、その向こうに広大な畑が広がっていました。この場所は旧陸軍の演習場があったところで、私が子供の頃は、刑務所の畑とグランドになっていました。受刑者が自分たちの食べる野菜を育てていたのです。受刑者と言っても、殺人事件などの凶悪な犯人ではなく、主に交通事故の人たちです。外で自由に作業していました。
この場所には奇妙な噂がありました。グランドであるにも関わらず、誰も野球をするのを見たことがないのです。
そして、
「夜中に自衛隊が来て実弾射撃の訓練をしている」
とか、
「あの自衛隊、制服が旧陸軍の軍服だ」
とかの噂や、果ては、
「新月の夜だけ、手足の欠けた軍人さんの幽霊達が、あそこで戦っている」
と、囁かれていたです。その話は、とてもリアルにイメージすることが出来ました。
当時、駅前など、人の集まるところへ行くと、必ず旧陸軍の軍服を着た、手足の欠けた人々が募金を集めていました。彼らの手前にある大きな鍋には〈救世軍〉の文字が書かれていました。十勝平野の真ん中にある帯広は、戦時中は軍都と呼ばれ、軍事工場や軍の施設がたくさんありました。
私の子供の頃には、それらの多くは廃墟と化して、近所の子供達の遊び場になっていました。その中には、都市伝説のような怪談話も多く含まれていたのです。霊的な思い出は『近世百物語』の方に書いていますので、そちらをご覧ください。
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