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播磨陰陽師の独り言・第二百八十二話「ハワイの思い出」
中学生の甥が生まれる前のことなので、もう15年近く前の話になります。甥の両親の結婚式でハワイに行きました。
はじめてのハワイは、案外、楽しめました。ハワイはアメリカと言うより、ただの巨大な観光地でした。アメリカを感じることはありましたが、日本語だけでも十分に楽しめます。
ハワイでは観光用の潜水艦に乗りました。どの種類の潜水艦でも、乗ったのは、はじめてでした。小さな船で沖まで行って、そこから窓だらけの潜水艦に乗り換えました。たくさん窓があったので水中が見渡せました。
——門司港にも観光用の潜水艦が欲しいな。
と思いましたが、関門海峡は潜水艦でも浮上してしか通行出来ません。自衛隊の潜水艦すら浮上してでの走行なので、観光にはむきませんね。
観光用のに乗った後で、真珠湾で本物の潜水艦に乗りました。戦闘用の潜水艦のことです。こちらは停泊したままでしたが、内部を見ることが出来て良かったです。
真珠湾では、
「日本人の観光客は珍しい」
と言われました。
いつ来るのか分からないバスを待って、しばらく行くと、真珠湾に到着しました。そこでは、まず、短い映画が上映されました。映画は日本軍がいかに汚く奇襲したのかを物語るものです。大半の日本人はこれを見て凹むそうです。しかし、私は真実を知っているので、これくらいではへこみません。当時、ハワイはアメリカの領土ですらありませんでしたし、あの戦争がなかったら、アジアは今でも西洋諸国の植民地となっていて、東洋人はすべて奴隷だったかも知れません。
私の武術の師匠は、若い頃、零戦のパイロットでした。しかも真珠湾攻撃に参加して米軍の戦艦を沈めた人です。師匠が見た真珠湾の景色をいつも話してくれていました。真珠湾は師匠が話してくれた通りの景色でした。今も昔も少しも変わらないと思いました。
ハワイのグルメはなかなか良かったです。路地にある地元の人しか行かない食堂に行きました。グルグルと呼ばれるラーメンのようなものを食べました。何がグルグルかと申しますと、ラーメンに乗っていたナルトがグルグルしていたのです。裏も表も時計回りの模様が描いてありました。普通、ナルトは片方が時計回りなら、裏は反時計回りですが、グルグルは同じ方向の模様でした。
グルメの次はハワイで一番やりたかったこと。つまりは、ガン・シューティング。もちろん大人買いだったので、お店にあったすべての銃を片っ端から撃ち続けました。やはりグロッグは撃ちやすく、さすがだと思いました。44マグナムは憧れの銃でした。映画『ダーティーハリー』で有名になった銃です。この銃は反動が強すぎて、手の平に青あざが出来ました。
そして、ハワイで日系人の英雄と出会いました。彼は朝鮮戦争の時、米軍の特殊部隊に属していて、全滅した隊の唯一の生還者でした。もちろん、ただひとりで敵を殲滅し、生還したのです。私はゲーム開発の時に、彼の資料を読んでいたので感動しました。
まだまだハワイの思い出はありますが、他の思い出はまたいつか……。
* * *