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祈りのカタログ・第十五話「神頼みの日がある」

 亡霊や神が生まれることを〈生みなす〉と言います。これには〈生まれた〉と言う言葉を使うのではなく、また〈生まれる〉と言う言葉も使いません。それはまさしく生みなすのです。
 この〈生みなす〉とは、

——生まれてそのものになる。

 と言う意味です。
 ただ生まれただけでは、生まれたことにはならないのです。人は生まれたら、それがたとえどんな人であっても〈物心〉が宿ります。物心のない人はいません。
 余談ですが、私の場合、物心がついた瞬間を覚えていて、それはとても不思議な体験でした。
 近世百物語・第四十四夜「猫がささやく」にも書いていますが、ふと、気がつくと、私はまだ幼な子でベビーベッドの中から天井を見ていました。そこにはクルクルまわる赤ちゃん用の回転玩具(これの名前は知りません)が楽しげな音を立てて回っていたのです。その音に合わせるかのように、たくさんの猫のシッポがユラリユラリと揺れていました。そして私が寝かされているベビーベッドのまわりに、どこから入ったものか猫たちが集まって、この私の顔を神妙に祈るかのようにジッと見つめていたのです。窓が開いていたので、たぶんそこから入って来たものと思います。しかし、当時の私にとっては、猫たちが、まさしく生まれてはじめて見た記憶に残る知性を持った何かだったのです。
 子供の頃はどこへ行っても、近所の猫や時には犬たちが、私のあとをついてまわりました。時にはカラスが降りて来て、後ろからついて来ることもありました。
 幼い頃の私のまわりには、たくさんの生き物たちがいつもいました。寂しいと言う感じがありませんでした。もしかすると、生き物たちに守られていたのかも知れませんが、
——いつも人ではないお友達がいる。
 としか思っていませんでした。
 思い出話はさておき、物心がついて人として生まれなす時には心を得るものです。

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