御伽怪談短編集・第十話「雪隠の疫病神」
第十話「雪隠の疫病神」
ここに不運で哀れな男がいた。
時は延宝(1672)、天下分け目の関ヶ原から七十年ほど過ぎた頃のこと。
不運な男は名を、御厨松之助と申した。立派なサムライではあったが、いわゆる勇猛果敢な性格には、ほど遠かった。小さなことに怯えては騒ぎ立てる弱腰に、同僚たちも閉口していた。軟弱な心の持ち主であり、まわりからは軽く見られていた。不運と言ったのはそれだけではなかった。何をやっても結果は裏目に出るのだ。もし、おみくじを引いたとしたら、たぶん〈凶〉しか出ないだろう。だからと申して〈大凶〉と言うほど最悪ではなかった。誰にとっても毒にも薬にもならないが、小さな不運ばかりの人生を歩んでいた。
そんな松之助の、月末の夜勤での出来事である。仕事の合間に、ふと、雪隠へ行った。夏とは言え闇夜のせいか、ひんやりとした風が吹いていた。早い秋の虫たちが美しく鳴いていた。
松之助が雪隠に近づいた時、暗い廊下の突き当たりに、突然、稚児姿の美しい少年が現れた。心なしか大人びた表情をしているのが見えた。こんな場所に、しかもこのような時刻に似つかわしくない少年。誰かが連れてきたとでも言うのか? 今夜はそのような報告は受けていなかった。
ニヤリと笑う少年の顔を見て、松之助は、
——夜中に何事でござろう?
背筋にゾクッと寒気を感じながら首を傾げた。
——見間違いか?
少年は松之助を見て、いやらしく笑い声を立てた。幼いにもかかわらず、大人びて笑ったのだ。声が漆黒の闇に響いていた。
血の気の引いた松之助は慌てて詰所に立ち帰り、同僚たちに、
「かようなことがござった」
と口早に語った。
同僚たちは、またかと言った顔をして、あまり相手にしなかった。
その時のことである。
虫の音が止んだ。雪隠の方向から、幼い子供のようなカラカラと笑う声がした。
すると、突然、松之助が顔を覆って、
「来るな」
と叫んだ。そして、
「誰か、廊下におるあの少年を、近づけないでくれ」
と喚くのだった。
その場にいた誰にも少年の姿は見えなかった。怯える松之助が座敷の奥まで逃げた時、そのまま倒れてしまった。
驚いた同僚たちが抱き起こして脈をみると、すでに青ざめ冷たくなっていた。あわてて活を入れ、あるいは色々と薬を使ったが、結局、蘇らなかった。死因は不明であったと言う。
「これは、世に聞く疫病神の仕業でござろう」
と、その不思議さに、人は皆、首を傾げるしかなかった。
夜中に現れる幼な子の姿は、恐ろしい物のひとつとされている。昔は、暗闇に幼な子がいるなど考えられない時代だった。
疫病神は、子供・青年・老人……と、時には女性の姿をしている。子供姿以外は瘦せぎすで、どことなく嫌な感じがするそうである。だから嫌な感じの者を〈疫病神〉と呼ぶのだろう。老人姿の時は、貧乏神と間違いやすいそうだが……。
とにかく、嫌な者とは付き合わないことが大切だと思う。それが、心の健康につながるのだから……。『諸国百物語』より。〈了〉
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