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不幸のすべて・第一話「サチと呪い」
今回は播磨陰陽道の〈幸福感〉についてです。不幸について理解し、それを避けるためには、まず、幸福について定義し、理解する必要があります。
一口に〈幸福〉と呼ぶ言葉には様々な意味があります。
あなたにとって幸福とは何ですか?
そして、あなたにとっての〈不幸〉とは、いったい何でしょう?
幸福と呼ばれる言葉は、人によっても感じ方も違い、価値観も違うため、色々な幸福感があると言えます。では、本来の〈幸福と呼ぶ思想〉についてを、明確にしてからお話を続けたいと思います。
幸福の〈幸〉の漢字を〈サチ〉と読みます。このサチとは、古くは〈矢の霊力〉を意味する言葉です。それはつまり、矢によって得られる獲物のことも〈サチ〉と呼びました。海のサチ山のサチは、
「幸福な獲物を、霊力によって得ることが出来た」
と言う状態を意味しています。
昔は、弓矢を使い獲物を獲る生活でした。弓矢の力よって食料を得て、自らと、愛する家族の命をつないでいました。それがサチ、つまり、幸福のはじまりでした。
矢に関する播磨陰陽師の伝承には、〈祟り〉や〈呪い〉に関する物が数多くあります。祟りや呪いは幸福をつぶし、不幸をつくるものです。しかし、〈祟り〉と〈呪い〉を混同し、勘違いされる方が多いですが、このふたつは別なものです。
祟りは、基本的に神がもたらすものです。たまに悪霊や妖怪のものもありますが、こちらは本来の意味とは違って来ています。
祟りは敬語のひとつです。
「神がそこに祟られる」
と使います。
神が祟られるので、それを目にした人々が、今まで自分がやって来た悪事を悔いて天罰に怖れる慄くことを〈祟り〉と呼ぶのです。
ちなみに、悪霊や魔物の祟りを感じることの方は、祟りとは呼ばず〈もののけだつ〉と言います。
また、呪いに関しては、
「呪いとは、のろのろと矢を射るがごとき物事なり」
と、伝えられています。
死ぬのではなく、矢に射られ死ぬ時間が長引き、その間、長い長い恐怖の時間を過ごすと言う意味を含んでいました。そして、この国の神罰は、常に矢によってもたらされて来ました。雷は、天によって放たれる矢として表現されますが、直接的な神罰は、目に見えない矢に射られることにより行われる種類のものでした。
ここに、真実かどうかは確かめようもない伝説があります。江戸時代のこと。神を信じず、国中の神社を壊して歩いた哀れな男の物語です。
その男は、ある日、瀕死の状態で発見され、自分の悪事を悔いながら〈天罰の矢〉について語ったと言われています。その矢は、男を助けた人の目には見えなかったそうです。しかし、体に矢が刺さっているかのように、皮膚と筋肉の間に矢形の盛り上がりがあり、皮膚に穴が空いていたと言います。
男は最後に、
「白い矢が天罰をもたらす」
と言ってこときれました。この死んだ男の話によれば、
「神はゆっくりと天罰を行う。必ず神と呼ぶべきものが存在する故、けして悪事を働かぬように……」
との、ことだそうです。
また、いくつかの他の伝説では、
「白い矢が神の言葉を伝える」
とされ、矢文が重要な物事を伝えるために使われる話も数多く残っています。
そして、神事には必ず〈白羽の矢〉が使われます。流鏑馬の時や三十三間堂にも矢を使う神事があります。
正月に神社でもらう〈破魔矢〉も白羽の矢の形をしています。これは、魔物を退治する矢と言う意味です。
白い矢が霊的な儀式や出来事に多く関係していることは、この〈サチ〉に関連しているのです。
サチと言えば、海の幸・山の幸ですね。これらはつまり、毎日、美味しいご飯を食べることが出来ると言うことなのです。美味しいご飯と言っても、それは贅沢なご飯のことではありません。季節とその土地に育まれた山海の普通のご飯を食べることです。場所を移動すれば、食べ物の質は落ちます。また、季節外れのものは体に悪い場合もあります。地元で取れた季節の食べ物が基本です。しかも、少しづつ、多くの種類を食べることを基本としてください。
ご飯に興味のない方は、残念なことに不幸になりがちな傾向を持ちます。季節の合わない、しかも地元でとれてもいない食材をつかったコンビニ弁当ばかり食べては、その内、心がなえて、やがて体も死にはじめます。
ひとりご飯もやめてください。孤独な食事は心に栄養を与えません。
こんな研究結果があります。自殺しようとする人に、
「美味しいケーキを食べたことありますか?」
と、甘くて美味しい物を思い出させると、自殺を思いとどまるそうです。ケーキを食べた時の美味しい味や、その時の楽しかった思い出が心の中を満たして、死ぬ気を失わせるからだそうです。
孤独な人は不幸になりやすく、また、食事に意味を感じない人も不幸になりやすいのですが……この続きは次回へ。
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