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御伽怪談短編集・第十一話「看病する亡霊」

 第十一話「看病する亡霊」

 予は本草学者の佐藤成裕せいゆう。本草学とは漢方薬を研究する学問のことである。本草研究のために各地を歩いて、その時に聞いた話を『中陵ちゅうりょう漫録まんろく』と言う随筆に書いている。
 さて、岡山の笠岡から北へ四里ばかりの所に荏原えばら村がある。薬草の研究のためこの地を訪れた時、奇妙な噂を耳にした。
 幽霊が病人の看病をしたと言うのである。
 村に嘉右衛門きえもんと言う男が住んでいた。彼の妻は流行り病ですでに亡くなっていた。
 そんなある日のこと、嘉右衛門は熱病を百日ばかり病むことになった。子はおらず、他に家族もいない嘉右衛門は、ひとりでわびしく暮らしていた。食べ物の蓄えもほとんどなく、医者とてない村に住んで、薬らしきものもなかったと言う。
 嘉右衛門は眠っては様子を見て、体が動く時だけ粗末な食べ物を口にする日々。しかし、それでは治るものも治りはしなかっただろう。そんな中で、亡き妻が姿を現し、何と看病しに来たと言う。
 どこから持って来たものか、いつも薬草をくわえて現れたと言う。粥や野菜クズばかりであったが、食べる物もどこからともなく持ち込んでいたそうである。本当のことであろうか?
 もともとの話はこうである。
 ある日のこと、
——嘉右衛門の家に、夜、女が入って行く。
 と噂が立った。墓場から家へ行く途中の道で、女の姿を見かけた者たちが噂していた。
——新しい女が出来たものか? それとも前からの知り合いか?
 ただの想像も混じっていたのかも知れない。だがまさか、それが幽霊だとは思わなかったそうである。
 地元で泊めてもらった時、知り合った者が真顔で申した。
「幽霊が看病しておった」
 そう語る男は次郎兵衛と申す庄屋であった。彼は四十過ぎの太めの体に、田舎者らしい無精髭を生やしていた。村は小さく宿などはなかった。だから予は、庄屋の家に泊めてもらっていたのである。
 予は不思議に思って尋ねてみた。
「それは、本当のことにござるか?」
 幽霊のことは何度も聞きおよんでいた。この世に不思議なものもいるかも知れないと思っていたが、
——果たして看病などするものであろうか?
 と、それについては少し疑っていた。
 すると、次郎兵衛は、
「村の若けぇもんが、夜中の墓場で見たそうじゃ。人魂の明かりがポツンポツンと灯ると、亡くなった筈の妻女がボンヤリと姿を現して、嘉右衛門の家まで歩いて行った。見た者は、皆、足は動かさず、浮かぶような姿であったと申しておった」
 次郎兵衛は目を見開いて、
「その出立いでたちは、白い左前の着物に、髪を振り乱し、額には三角の額烏帽子を付けておった」
 と幽霊のフリをした。
「見たのでござるかや?」
「いやいや、多くの者は女の顔を見ただけで怖ろしくなり、服装までは覚えておらんかったと……ただ、暗闇の中でもハッキリと見えたそうじゃ。また、雨が降る夜でも、あの人魂は消えんかったと何人もが申しておった」
 嘉右衛門の家の近くに住んでいた者が、ちょうど来ていて話を聞かせてくれた。
「はじめは、新しい女でも出来でけて、夜中に通って来るんかと思っていたんじゃ。じゃが、それにしては亡くなった女房殿に似過ぎておったんで、好奇心で見た者も、その恐ろしさに震えが止まらんかった」
 ある夜、窓の隙間から外を見た者は、その恐ろしさに震えが止まらなかったと言う。
「あれは、新月の夜のことじゃった。喜右衛門の女房が……女房が……あな、怖ろしや。くわばら、くわばら……」
 最初は冷静に話していたが、途中から支離滅裂になって、何を見たものかハッキリとしなかった。
 不思議なことに、一緒にいても見える者と見えない者がいたそうである。そのことからも、
「あれは嘉右衛門の女房に違いあるめぇ」
 と、村中がささやいたと言う。
 やがてこの噂は近郷近在にも知れわたり、皆、祟りを恐れて、
「暗くなると、誰ひとりとして、嘉右衛門の家に近づく者はいなくなった」
 と庄屋が申していた。
 風雨と言えど、女房の亡霊は一夜も看病を欠かすことはなかったそうだが、病が完治したかどうかは定かではない。それは、誰ひとり様子を見に行く者がなかったからである。もしかすると死んだのかも知れない。百日ほど亡霊が通ったのは事実であるようだ。そして、誰も嘉右衛門の消息を知る者はいなくなった。
 案ずるに、亡き妻が毎夜来たりする故、夫の気が枯れて熱病を病んだのではあるまいか?
 亡霊に看病されたとしても、薬は、あるいはどう看病するものか?
 いくら考えても答えは出ない。
 死んだ者が、身内に未練を残すことはよくある。亡霊になって赤子を育てる〈幽霊飴〉などは有名な話である。
 亡くなった夫は、妻に恨めしそうな目をして現れるのが普通であろう。死んだ妻が夫を優しく迎えてくれるものも多いが、こうなると、迎えられた夫は死ぬしかない。痛し痒しな出来事だと思う。『中陵漫録』より。〈了〉

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