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祈りのカタログ・第三話「祈りの体現」
言葉による祈りはリズムを持ちます。これは、祝詞にフシがあるような一定のリズムを持ちます。
体の動きによる祈りにも、やはりリズムがあります。体で動いてリズムを現す時、それを〈舞い〉、あるいは〈踊り〉と言います。
舞いは、古くから神楽など神話を舞う祈りが知られています。祈り時は舞うことが多いようです。神々が舞いを見て喜ぶとも言われています。
踊りの方は、盆などに祖先を供養するために踊るものです。神々に対して、先祖はひとつ位が下がりますが、供養のために人々は踊るのです。
いずれも祈りの一種です。
喜ぶことを〈小躍りする〉と言いますが、これも人が喜びを現すための祈りの一種でした。舞ったり踊ったりすることは、いつでも祈りと関係しているのです。
舞い踊ると言えば、私は舞踏のことを思い出します。即興舞踏とか呼ばれて、白塗りにした男女がゆっくりと舞い踊るアートのことです。
舞踏に対するあくまで私的な意見ですが、私は、舞踏が夢の世界そのものを体現していると思います。夢の世界の状態を体現することは、すなわち、体を使って祈ることだと思うのです。
私には多くの舞踏系の友人がおります。彼ら、あるいは彼女らの舞い踊る姿に、夢の世界の祈りを垣間見るのです。
サムネイルに貼っている写真は舞踏のものです。撮影した日は、とても美しい思い出となりました。そこでは舞踏家たちは、自然を感じながら自然の一部として動いていました。現場は無音でしたが、ひとりひとりは自然の音楽を感じながら、その中で流れるように舞い踊っていたのです。それは、参加していた小さな子供の舞踏家ですら、この不可思議な空気を感じて、あの子たちなりに体で表現していました。
この自然を感じて、自然のままに動くことが、体で作る、あるいは、体が奏でる美しい音楽を現しているのです。それは、見る人の心の中に、まるで夢の世界を作り出すような表現になっています。これを〈祈りの体現〉と呼ぶのだと思います。そして、祈りは体現しなければ、けして伝わらないものなのです。
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