怪しい世界の住人〈狐族〉第三話「悪い狐のこと」
葛葉は白狐の姿を息子に見られ、一日もこの家に留まることは出来なくなりました。そして人間の姿に戻り、眠りかけた幼い息子に向かって、
——これ童子丸、今、この母が申すること寝耳にしかと聞き覚えよ。われは元、人間にあらず。六年以前、信太の森にて悪右衛門に狩り出され死ぬる命を保名殿に助けられし千年近き狐ぞや。われ、故に、保名殿は数カ所の傷を受け給い、生害さえせられけんとし給いし、そのご恩を報じたき、ことに保名殿は信太の森・稲荷大明神を信仰なし、家の再興を念じ給う故、その真心を感応ましまし、われは稲荷大明神の仰せを受け、仮に女の姿に変じ、保名殿との契りを結び、そなたをもうけしは安倍の家名を興さしめんためなり。
夫婦親子の愛は愚痴なる畜生三界とて変わりないぞや。せめてそなたが十になるまでおりたけれど、われが本性を見られし上は、しばしも留まりがたし。これから後は父御《ててご》の言うことをよう聞いて、おとなしゅうし、手習い、学問精出して、仁義の道を忘れざれば、必ず家名をあげ得らるべし。仮にも邪見の心を起こし、人に恨まれ、誹られて、道理よ狐の子じゃものと母が名まで呼び出すな。
小鳥一匹、虫一匹とて、無益に殺生しやんなや。悪い遊びに気をとられて、野井戸などへ落ちてたもるなや。今、ここで別れるとも母は必ずそなたの影身につきそい、行く末永く守るぞや。今、ここに残す宝玉はこの母がそなたに残すたったひとつの形見ぞや。この玉を耳にあてる時は鳥畜類の声を聞きわける品なれば必ず役立つこともある程に大事にして肌身離さず持ってたも。さればこれが別れぞや。
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