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播磨陰陽師の独り言・第二百八十一話「霊はどう見えるのか」

 私は、先祖代々、生まれながらの霊能者です。霊が見えるのは霊感ではなく、〈霊視力〉のなせる技です。霊視力とは、霊的なものを見る力のことで、聞く力である〈霊聴力〉などもあります。
 このようなことを言うと、
「霊は、どう言う風に見えているのですか?」
 と聞かれます。どうもこうも普通に見えすぎて、霊だと分からないことが多いです。見えるのは生まれつきなので、物心がついた時から日常の風景の中に霊的なものが存在しています。霊ではないもの……つまりは生きているものと、ただの霊との区別はつきません。むしろ、見えていない人がいる方が、何だか不思議な気がします。
 最近は目が悪くなりました。右目は見ているものの中心がゆがんでいて認識出来ません。左目は手が届くところしかピントが合っていないため、それより先はボヤけています。だから人の顔を、キチンと認識することは出来ません。声の調子や服装全体で、誰だか分かる程度です。
 以前、友人たちと温泉へ行った時、誰のことも分からなくなりました。服を着ていないため、ただの肌色の塊としか認識出来なかったのです。しかも、誰もがくつろいで、声を出しません。湯煙の中で、
「友人たちは、どこにいるのだろう?」
 と、首を傾げるしかありませんでした。
 そんな欠陥のある目ですが、霊的なものはハッキリと見えています。と言うか、霊的なものしかキチンと見えていません。
 たとえるならば、こうです。夢の世界の光景は、すべてがハッキリと見えています。
——そんなことはない。
 と思うかも知れませんが、単に記憶が曖昧になるため、ぼやけた世界としてしか思い出せないだけです。
 霊が見ている人の世界は、そんな感じです。ハッキリと見ているのに、曖昧な世界として記憶しています。
 もちろん、見えてもいないのに、強く、
——見える。
 と、言い張る人もいます。そのような人は、見えることを自慢げに話す傾向があります。理由は、霊能力があることは、その人にとって価値のあることだからです。世の中、この偽物の霊能者が、かなり幅をきかせていますが……。

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