私の人生
12歳の頃、塾で悪い点数を取った。また家に帰るとどちゃクソ怒られると思っていたが、何も言われなかった。
ああこれ、この前国語の授業で習った"匙を投げる"ってやつなんだと思った。
洗濯物を畳んでいる母親に、ついにさじを投げたの?と聞くと
別に、そうじゃないけど。と答えた。
14歳くらいの時、母親と大喧嘩をしている時に
いつもいつも、毎分毎秒、自分の価値を証明しないとここにいられないと思っている。テストで悪い点を取ったら、周りに迷惑をかけたら、粗相をしたら、とにもかくにもどこに出しても恥ずかしくない完璧でいようとこんなにも努力していて、それがすごく息苦しくて辛いと捲し立てた。
母親は驚いた顔をして、
もしそれが本当で、完璧じゃないと捨ててるならとうの昔にあんたを捨ててるよ。
と答えた。
その時私が学んだのは、私が毎日死力を尽くして努力しても、母親の完璧にはなれないということだった。
また18歳くらいの頃、昔こういうことを言われてとてつもなく悲しかった。当時も悲しかったことを伝えようとしたけれど、どれほど私に非があるかをまくし立てられて、例えば育ててるのはとか学費を出してるのはとか、送り迎えをして弁当を作っているのは誰だと思っているのといった決してこちらが勝てない内容を示されたので何も言えなかったんだよ
と伝えた。母親は一瞬驚いた顔をして、
今更そんなことを言うなんてズルい。更にはそんな覚えてないようなことをまくし立てられ、私を悪者扱いするなんて酷すぎる。
というようなことを言った。
そもそも論理が破綻しているようにも思えるが、当時の私が感じたのは
ああ、私がこんなに何年も何年もこの言葉に傷つけられたと思っていることを、この人はひとつも覚えてないし平気に暮らしているんだな
という事だった。
即ち、どんなに努力をしても誰かの完璧にはなれないし
例えなったとして、私自身は幸せにはならない。
✕✕の完璧になれたら私は幸せなの、というような人がいるが嘘だ。
なったところで幸せにはならないよ。
また、とある言葉がずっと胸に刺さり、そのナイフを抜くと出血多量で死ぬだろうと思うから刺さったまま生きたとして、そのナイフの持ち主はそんなこととうの昔に忘れているのである。
誰かの理想、誰かのために生きたって自分にメリットや利益は1ミリも無いのである。
人は自分の人生を生きるべきである。