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Chopped Cookies §3 逃亡の始まり

1週間、小西研究所に通い詰めでなんとか事案もまとまりそうだ。
さすが最高レベルの研究所とあって、クライアントたちの要求とボクたちの提案はいとも簡単に解決されていく。
アップル・パイオさんもとてもいい人でしょっちゅう差し入れを持ってきてくれた。
自家製クッキーらしい。
「結構いけるのよ私のクッキーちゃんたちは。」
明るい笑顔を振りまきながら、ハート型しかないクッキーを置いていってくれる。
気持ちがこもっているのか、確かに美味しく感じられた。
「ボクは元々、あまりクッキーが好きではなくて。けどこれは美味しいです」
「やだ可愛いこと言ってくれるじゃない。また作ってあげるわね」
と言って肩を叩かれた時は冗談無しで脱臼したかと思った。
「みんなが幸せになれるクッキーを作りたくてね」
「そうですね。ボクも、頑張ります」
あっという間に金曜日になった。
(今週も疲れたな....)
しかし旧友と再会して、インパクト抜群の所長アップル・パイオさんとの仕事は楽しかった。
(いよいよ明日だな....)
サト・奈太郎。の展覧会に行く。
ラフな格好でいいよとは言われたけれど、一応ちゃんとした格好で行こう。
1人だけ浮いても嫌だしな....。
先週届いた異国の料理は結局水曜日の夜には食べきってしまった。
思っていたほど辛くは無い。
やっぱり現地に行って食べないとな....。
今週はさすがに疲れたのか、ライトから飲みに誘われなかった。
研究室にはライトお目当てのリケジョは居なかったが、根は真面目なのか仕事には精を出していた。
アップル・パイオさんのクッキーのおかげかもしれない。
(みんなが幸せになれる、か....)
会社終わりにコンビニで買った即席のクッキーをかじる。
ねちょっとしていて、あまり美味しくない。
"香辛料を使っていない、健康志向クッキー!"
パッケージにはそう書かれていた。
先週自分で作ったクッキーの方がよっぽどリーズナブルで口に合っていた。
最後のひとつを口に放り込むと、即席クッキーのパッケージをゴミ箱に捨てる。
手を洗いながら、コーヒーの為の湯を沸かす。
(みんなが幸せ、ねぇ....)
何気なくフライパンを取り出してみる。
パッと見では、まさかこのフライパンでクッキーを焼いたなど分からない。
しかしクッキー警察の特殊キッドを使えば、指紋をとるより簡単にクッキーの痕跡が出るそうだ。
(....カイリは元気しているかな)
頭にそんなことがよぎったが、本当に心配しているのかは自分でも分からなかった。
今頭の中にあるのは、どうやったらもっと簡単で、美味しいクッキーがフライパンで焼けるのか。
そんなことでいっぱいだ。
ビニル袋の中に小麦粉とバターをぶち込んで、砂糖と混ぜる。
無論、ビニル袋内で混ぜることは禁じられていた。ボウルにいれないと、香りが立たないらしい。
知ったことか。こっちの方が簡単だ。
卵アレルギーの人用に国家公認の卵アレルギー用の粉も売っていたが、アレルギーの認可証が無ければ卵を使用してクッキーを焼かなければならない。
入れるものか。この方が、簡単だ。
ちゃんとクッキーが焼きあがる。
ビニル袋をこねこねしているとお湯が沸いた。
ある程度生地が固まったら冷蔵庫にいれて冷やす。
コーヒーを入れると鼻腔を擽る香りがした。
いいんだ、クッキーに香りなんて。
そりゃあ香ばしい方がいいかもしれない。
けれどボクみたいにコーヒーで十分幸せを感じられる人にとってはもっと簡単な焼き方が必要なんだ。
安月給でこんな遅くまで働いているんだから....。
どれもこれも稚拙な言い訳に思えた。
ここで止まる訳にはいかない。もう正規以外のレシピで生地を作ってしまったのだから。
生地を取り出すと、型を抜いてフライパンで焼いてみる。
先週は少し焦げたので今週は弱火で焼いてみることにした。
少しホロホロとしているが大丈夫だろう。
火を止めて、口の中に放り込む。
火傷しそうなくらい熱かったが美味しい。
かなり美味しい。
どこで食べたクッキーよりも美味しいんじゃないかと思うくらい美味しい。
シンプルイズベスト。
先週は最大の罪を犯したことによる興奮で相当焦ったが、今日はまだ心に余裕がある。
自分は仕事を1週間頑張った、このくらい許されるとでも理由づけておこう。
1度焼くも2度焼くも同じなのだ。
肺いっぱいに珈琲の幸せな香りを吸い込みながら違法クッキーを楽しんだ。
先週やったよりも念入りに、何度も何度もフライパンを擦りながら頭の中はこの上ない幸福感で満たされていた。

日曜日、礼二郎は展覧会が行われる会場の入口で待ち合わせをしていた。
「稀代の芸術家、サト・奈太郎。展覧会〜クッキーは大爆発〜"」
と書かれた看板の横で礼二郎を待つ。
程なくして、白衣以外は平日とさして服装の変わらない礼二郎がやって来る。
「おまたせ、待ったかい?」
「ボクもさっき着いたところだよ」
「そ、じゃあ行こうか」
「あ、中でコーヒー買っていいかい?朝から飲む時間が無くて」
「君はいつもそれだな。カフェインも程々にしろよ。」
会場はかなり広かった。
皆、口々にサト・奈太郎。を褒めたたえている。
"クッキーは大爆発"
サト・奈太郎。の代表作だ。
それって失敗してないか?と首を傾げる礼二郎と見て回る。
「大学を出てからはどうだったんだい?」
内心ギクッとしながら、コーヒーを飲み込む。
「なんてない日々さ、仕事と休みの繰り返し。そういえば最近喜多船の新店舗に行ったよ。会社の近くに新店舗ができてさ。
ボクは和菓子の方が好きだな。あの味を嫌いな子供はいなかった。ボクたちの最高のおやつさ。今のクッキーは気取ってる、世界に媚びを売ってる感じがするけど、あの素朴で、けど温かい味はあそこだけのものだった」
そういえばそこでカイリと会ったんだよと続ける。
「カイリは大丈夫そうだったのかい?」
「どういう意味?」
「警察学校時代は相当苦労したらしいぜ」
「礼二郎、君はたった2文字の人の名前もろくに覚えられないのにそういう情報は一体どこから手に入れてくるんだ」
「みんなが僕に教えてくれるんだよ、頼んでなくてもね」
「けど苦労したって一体どういう事だろう。カイリが優秀で努力家なのは知ってるだろう」
「ま、色々あるんじゃないか」
そんなふたりの会話を1人の黒髪の女性が後ろで聞いていた。

まだ研究があるから、と言って一通り見て回ると礼二郎は帰ってしまった。
さして芸術に詳しくないボクがひとりでいても仕方ないので夕方には帰宅する。
恒例となった違法クッキーを焼く。
昨日が抜き打ちテストだったから今日は大丈夫だろうと、自分に言い聞かせながら。
雑多に袋に入れて、そそくさと食べ終わる。
テレビを怠惰に見ていると、窓の外から「あら!こんなところまでカイリ副署長が!」と聞こえてきた。
2階の窓から外を覗くと、「たまたま通りかかって、旧友に会いに来たんですよ」と老婆に笑顔で話すカイリが目に入る。
「この辺だったよなあ、確か..あ!ケイじゃないか!この前以来、懐かしくなって会いに来たんだ。見回りで近くまで来たもんでね」
心臓が止まるかと思った。
ニコッとこっちを見て笑うカイリに、上手く笑い返せただろうか。
ゆっくり後ずさり、辺りを見渡す。
テレビの音が遠くなる。
フライパンは洗ったよな?完璧に、一滴も残してないはずだ。
冷蔵庫に怪しいものは?
床は拭いたから何も落ちていないはず。
大丈夫、大丈夫だ。
落ち着け、カイリはきっと、
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
「ケイ、僕だよ。カイリ。近くに来たから寄ったんだ」
「....あ、ああ、すぐ行く」
ケイはこの前と同じ部下2人と来ていた。
ぼく達は先に行っています、という2人を、この暑さだ、お茶の1杯だけでも頂けないかと言われては追い返す訳にも行かない。
カイリと後輩を部屋にあがらせ、麦茶を持っていく。
たわいの無い話をして、相槌を打つ。
正直カイリが何を話しているのか半分も入ってこない。
「先輩、タバコ吸いに行ってきます」
「ああ、気をつけて」
「こ、ここで吸いなよ。窓開けるし....」
「ありがとうございます!」
自分の呼吸を整えるためにも窓を開ける。
「ケイはまだタバコをやってないのかい?真面目だなあ」
「はは、ボクはカフェインで十分だから」
甘い副流煙が肺を満たす。
空気を吸って、吐いて、余計なことを考えない。
カイリ達が笑うタイミングでボクも笑う。
「じゃあ、そろそろお暇しようか」
「はい!お邪魔しました!」
「じゃあまた来るよ、今度は俺の家に飲みに来いよ」
「ああ、そうするよ」
「礼二郎達は元気にやってんのかな」
「きっと元気さ」
(もうちょっと、もう少しで大丈夫だ)
「じゃあな、なんかあったら俺に、」
「カイリ副署長....これ....」
(もうすぐカイリたちが帰る)
玄関に手を置いた瞬間だった。
「ケイ....なんだい?これは」
振り返ると部下のひとりがゴミ箱の前で突っ立っている。
左手には潰れたタバコの空箱を。
右手には、ビニル袋を。
中には黄色い生地がへばりついている。
正規レシピとはあまりにかけ離れた、黄色過ぎるその生地が。
この国の人間ならそれが何を意味するのかは一目瞭然だった。
「ケイ....これがどういうことか....説明してくれるか?」
「ちがッ、それは、それは、」
うまく呼吸ができない。
なんだ、なんて言い訳をすればいい?
どう言えば自然に聞こえる?
何がおかしくない状況だ?
必死に思いをめぐらせ、ゆっくり顔を上げると、悔しそうに歯を食いしばる、吠える前のオオカミのような形相のカイリと目が合った。
「ケイ....信じてたのに....そいつを捕まえろ!!重大犯罪者だ!!」
前方に全体重をかけ、扉を勢いよく開ける。
(カイリ....!!さようなら)
こうしてボクの逃亡生活が始まった。


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