サッカーを見るのは砂糖を使う
去年、2018年のロシアワールドカップでクロアチア代表を好きになって、最初はLuka Modrić(多分みんなそう)を好きになったけど、生まれつきマイナー好みの私はIvan Rakitićを好きになった。
それから色々あって、クロアチア代表でもFCバルセロナでも努力とその技術と愛のわりに報われないラキティッチを見て勝手にハマっていった。
「ラキティッチが一推し」て言ってるのにモドリッチ人気強かったから平気でdisってきたり、ただの一モドリッチファンのくせに「ラキごめんね」とか上から目線で言っちゃう自意識天井超えの女子にイラついたり、歪んだ解釈を定着させたくなくて、でも完全に夢に酔えるほど若くもなくて、必死で考えて二次創作を書いたり。
マイナーが隠れてたって誰かが探しに来てくれる確率なんてめちゃ低いのに、って思ってストレス溜めたり、自分の推しカプの話できる友人欲しいだけで、共感してほしいだけで嫌味言ってきたり、訳も知らないのに嫉妬と決めつけて煽られたり。正直疲れた。マイナーカプ腐ダイエット、とか冗談言ってたけど、久しぶりに病院に行ったら本当に15kg痩せてて、自分でも驚いた。
やっぱり自分から動かなきゃ、待ってても誰か助けてくれるわけじゃない。
世間知らずすぎる中年自閉症の私には社会できちんと働いてる社会人や学生の気持ちはわからなかった。
多分私もそんな状態なら流れに身を任せて「まあいいや」って生きてただろう。だって楽だし、楽しいから。
でも、あんまりバランス悪すぎない?と思った。
他人から影響されること自体が悪いことじゃない。それが友人を作ったり、人生を楽しめる理由だったりするから。
それができない私には「みんな○○が好きだよ」という言葉は意味を持たない。だから何?としか思わない。
「人々は厳しいが、人は優しい」
東大王というTV番組で見た言葉だ。
それをサッカー二次BLの世界に入って、というかSNSで久しぶりに四角の向こうの人たちと交流して本当に実感した。
私自身の生きている環境が悪い、というのもあるけど、そういう人間は不幸であることが普通だと染み付いてるのか、さらに不幸を呼び寄せる。
心に余裕がない人たちは、適切に弱音を吐ける人たちは、私のような人間に"ムカつく" らしい。
一般的な"弱音を吐いていい境界線" が分からないから、いつ、どこで、弱音を吐いていいか分からないんだよ。
最初に寛容に見せると(どうでもいいと思っている、とも言う。自分で決めるしかないことだから)どんどん甘えられて、サンドバッグにされる。
数が多いとスライムはキング・スライムになって強気になるらしい。
「人々は厳しいが、人は優しい」
おかげで、牛乳の中に大量に砂糖を入れるという「シュガーミルク」という栄養剤を開発した。糖分取らなきゃやってられなかったよ。私のエナジードリンク。
平等じゃないのに平等を求める人。その実、数が少なくて弱そうな、言いやすい相手にだけ上から良い人ぶって説教するバカども。
音楽がないとやっていけなかった。
楽な方に流されるのは気持ちいいし、いいけど、それなら1人で耐えて自分の責任で頑張ってる人に説教すんなよ、て思う。
人に説教するのが気持ち良くなったら爺婆だな、と思う、年齢関係なく。
ただのストレス発散だって分かってるんだから、聞く気にもならない。あ、酔ってんな、て感じ。
あんまり砂糖を摂取させないでほしい、自閉症は糖質制限が必要らしいので(※後期高齢者は必ずしもそうではないらしいけど)。