【昔話8】浪人生活は「バ」ばかり?!
下の記事の続きです
今回の目次
前回までのあらすじ
勢いで始めたエレキギター。その勢いのまま、友人とバンドを結成し、学園祭で初のステージに立つのであった。
高校卒業 〜そして浪人へ〜
学校祭ライブのあとは、時々集まってスタジオ練習をするくらいで、ライブをすることはありませんでした。
そのうち、受験シーズンが始まり、全員で集まることも減っていきました😮💨
私も受験生でしたが「なんとかなるだろ🥳」と思っていたので、ギターを弾いたりゲームをしたりとロクでもない過ごし方をしていました。
…まぁ、もちろんなんとかなりませんでした。
親から「一年だけは浪人していい」と許しを得て、再度受験に臨むことにしました。
「来年の受験まで一年あるし、数ヶ月はアルバイトしてお金を稼ごう🥳」
…アルバイトでお金を貯め、念願のバイク免許を取得し、バイクを購入しました。
そして、大学生になった友人達と時間を合わせ、時々スタジオ練習することもありました。
皆、バスケも好きだったので、たまにバスケでも遊んでいました。
バイト、バイク、バンド、バスケ。
浪人なのにバカな事ばかりやっていました。
どうでもいいけど「バ」が多い🤣
勉強の「べ」の字もありません。
「べ」といえばベースでした🎸
ちなみに、この頃はBO∅WYの曲をバンドで練習していました。
「BEAT SWEET」や「CROUDY HEAT」が特に好きでした☺️
自宅では、B'zのアルバム「ELEVEN」の曲から好きなフレーズだけコピーするなど、1曲通して覚えることは少なくなっていました。
そんな私を見て、両親は不安だったと思います。
今になって振り返ると申し訳ないという気持ちしかないのですが、そんな当時の私のことを暖かく見守ってくれた両親には感謝しています🙇
予備校には通っていませんでしたが、「夏期講習・冬期講習は受けておいで」と、両親がお金を出してくれました(バイトで稼いだお金はバイクで消えました)。
そんなこんなで迎えた2回目の受験当日。
3教科の試験を終え、私は「勝った」と思いました。
昨年とは違い、すべての問題を迷いなく解くことが出来たのです💯
いや~、人間って不思議ですね🥳
予感は当たり、無事に試験に合格し、大学へ進学するのでした。
次回へ続く
終わりに
振り返ってみると、本当にひどい過ごし方をしていますね😰
私が親だったら毎日怒り続けていたんじゃないかと思います。
突然ですが、あなたには受験のテーマソングというか、応援歌ってありましたか?
私は、NICOTINEというバンドの「PERMAFROST」という曲が自分の中のテーマソングでした。
歌詞をざっくり要約すると「誰も手を差し伸べてくれなくても、俺は必死で這い上がるぜ」という感じです。浪人生の自分をとても勇気づけてくれる曲でした。
本文を読んでいただくと分かるように、実際は「たくさんの人が手を差し伸べてくれているけど、俺は自分のペースで生きている」という状況でしたが💦
今回も読んでいただいてありがとうございました!
次回も読んでいただけると嬉しいです!
↓続きを書きました🥳
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