調布刑務所(電気通信大学・大学院)刑期満了エントリ
入学まで
中学3年での高校受験に失敗し、両親の家計を心配し、特待(学費0)を理由に受けた滑り止めの男子校に進学することになった。幸か不幸か周りには勉強(受験)にやる気の有る奴はおらず、高校3年の最後の定期考査を除いて学年1位を貫いていたため、評定がやたら高く調布にある電気通信大学という国立大学に推薦入試で入学できる運びとなった。男子校だったので約1割の女子率でも「共学じゃん!!!」と思って淡い期待をもって入学することになった。
学部1年
酒は飲めないと思い込んでいたので、飲み会とかが無さそうな真面目そうなサークル、と人がいないということだったので名義貸し程度の気持ちで入ることになった。事前に聞いていた通り、時間割を自分で組むという次元ではなく、少しだけ科目を選べる程度の自由度のカリキュラムで、パツパツの生活をしていた。一応プログラミング教室のアルバイトを数か月やったが実力不足で数か月で辞めた。そのあと、事務のバイトをし始めた。
成績は良くなかった。
これ以上の記憶はない。
学部2年
専門が増えてきた。とはいってもどの科目に対しても大して興味があるわけではなく、漫然と卒業のための単位集めとして授業を受けていた。プログラミングの開発アシスタントのアルバイトを始めた。担当(?)になった人が変わった人でまぁまぁ面白かった。サークルではまじめな方ではサークル長(?)的なポジションとなり、組織のために身を粉に働いた。
夏ごろに高級風俗に行き、素人童貞になった。この経験も手伝い、「AIやロボット技術の現状を考えると、人間相手にセックスするのが今後も一般的だろうし、彼女ができたらタダでセックスできるなんて最高じゃん!」みたいな思想になり始めた。高級風俗に行ったのは後悔していませんがおすすめはしません。
学部3年
ほとんど学部2年と同じ。
アルバイト先に「割り振る仕事がないから、辞めてくれんか?」と言われてその数か月後に別のバイト先に移った。そのバイトは上記のバイト先の変わった人が紹介してくれた。
研究室配属が学部4年から始まるのですが、自分のいた専攻(?)は面白そうとそうじゃないの2極化が激しく思えたので、違う専攻の研究室を志望し、入れることになった。
寒くなったころに合コンの真似事に参加した。純粋にどういうイベントかどうかが経験ベースで分かって良かった。そして、黒タイツに目覚めた。ちなみに男性陣の戦果はゼロだった。
真面目そうなサークルは控えめに言って現状に合ってないがズルズルと続いてしまっていた行事を責任をもって葬った。
人数が足りないサークルは今後も未来が無さそうなので、つぶすことを決定し、その始末に少し関わった。
学部4年
授業系の単位は全部とっていたので研究と大学院入試の記憶しかない。
コロナ関連で人が直接会う系の行事がおよそ完全になくなってた。しかし、とくに不自由はなく過ごすことができていた。
最後には研究会発表とかいう学会発表の一番簡単な奴をやった。
修士1年
体感としては学部3年2(ツー)。対面で同じ研究室の人とも仲良くなり、先輩には非常に気の合う人とも仲良くなれてよかった。インターンの申し込みを夏前に一気にやったが、10社ほど申し込んだのち、1社しか通らず、それも秋からになっていた。なんだかんだ秋からのその会社でのインターンは春に終え、その会社から内定をもらったのでその会社に内定承諾することになった。内定承諾した会社とは別にもう一社からも内定をもらっていたが、内定者インターンもやったうえで、その会社には内定承諾をしなかった。忙ししそうだったから。
春から一人暮らしをしていた。ところが、秋ごろから留学生2人とルームシェアをすることになった。これに関しては書くと少し長くなるし書いたので割愛。
母が不倫している証拠を妹がつかみ、それを伝えられた。女性不信が芽生える。妹は泣いていたが、俺は無表情だった。それよりも、妹に彼氏がいることの方が衝撃的だった。シスコンではない。
修士2年
なんだかんだ学生最後の年。研究は国際学会向けの論文を書いている途中で先行研究が優秀すぎることが判明して、実質的になかったことになった。
プライベートではなんだかんだ研究室の後輩とセックスすることになったりしたが付き合うことは無くフェードアウト、芽生えていた女性不信がより育つ。無銭でファックしたい以上の関心はない。
ホストのアルバイトを秋ごろに始める。なんというか、いろんな人がいるということを経験ベースで知ることができた。ちなみに全く売れることは無く、お茶くみ係だった。
晩秋には指導教官からRA(研究をしてお給料をもらう)の提案をいただき、研究は修士論文執筆だけでなく論文誌執筆まで縺れ込んだが何とか書ききった。
研究室の同期とはディズニーランドにいったり旅行したりした。査読結果はまだ来ていない。
以上