保護猫polca、けっこう良くない?
借金インフルエンサーことしゅうへい氏が、ツイッターで炎上している。その原因は、彼が1週間ほど前に引き取った保護猫の飼育費用を、クラウドファンディングサービス"polca"を利用して集めているからだ。
▼しゅうへい氏によるクラウドファンディング告知ツイート
▼しゅうへい氏の行動に反対するツイート
前にもnoteに書いたけれど、ぼくは炎上が大好物だ。語弊のないように言い換えると、2つの意見のぶつかり合いを見ることを通じて、自分の考えが両サイドにブレていく感覚が好きだ。
そんなわけで今回の炎上も、楽しいなぁと思いながら眺めたいなぁと思っていたのだが、正直なところ今回の件については、自分の考えがブレなかった。ぼくはしゅうへい氏のやり方を全面的に支持したい。
反対派の人たちとも話し合いたいので、このnoteでは今回の一件の論点と自分の考えを整理していこうと思う。
ちなみに誤解されると不服なので言っておくと、ぼくは基本的にしゅうへい氏のことがあまり好きではない。理由は色々あるが、ひとつ挙げるとすれば、彼は高位のインフルエンサーに意見を合わせているように見えてしまい、その振る舞いに美意識が感じられないからだ。
けれど、しつこいようだが今回の件は素晴らしい。なので、彼の普段の行動と切り離して、彼の今回の一件を徹底的に擁護していく。
問題点の整理
今回の集金活動について批判している人たちは、どのような点を問題視しているのだろうか。いくつか抜粋しよう。
1.クラウドファンディングに依存しないと飼えないなら飼うべきじゃない
2.もし資金繰りに余裕があるなら自分で飼育代を用意すべきだ
3.パフォーマンスのために猫を飼うべきじゃない
すでに述べたように、ぼくは(今回に限っては)しゅうへい氏の支持派なので、これらの指摘に反対する主張を語っていく。
反対意見1.クラウドファンディングに依存しないと飼えないなら飼うべきじゃない
まずはこの意見。実のところ、これが一番的外れだと思う。
しゅうへい氏は、おそらくクラウドファンディングに依存しなくとも猫を飼育していくだけの経済力は備えている。
借金があるので生活苦にあえいでいるはずだ、と思ってしまいがちだが、彼は「SNSでのキャラクター付け」のためにあえて借金を完済しないようにしているらしい。(出典発見できず。すみません)
彼自身にもブログやイベント経由での収入があるし、経済力のあるスポンサーや密度の濃い交友関係もあるので、仮にpolcaでの寄付額が0だったとしてもしっかりと猫を飼育していくだけの見通しはあるはずだ。
polcaの入金額は、あくまでボーナス感覚だろう。
反対意見2.もし資金繰りに余裕があるなら自分で飼育代を用意すべきだ
反対意見1の結論から派生する内容でもあるけれど、「自力で養えるなら他人に金をせびるなよ」という意見もあった。が、これにも違和感がある。
この意見を述べている人の論点は2つだ。
A. 他人にお金を払わせようとするのは人への敬意に欠ける
B. 自分でお金を出さないのは、猫を飼う覚悟が足りない
まずAについて。
本当か?
視点を変えて見てほしい。今回の集金が支援者をナメ腐っているなら、総スカンを食らってもおかしくないはずだ。しかし、実際には多くの支援金が集まっている。
なぜ集まるかといえば、「猫1匹飼うだけの覚悟や余力はないけれど、保護猫のために何かしてあげたい」というニーズがあるからだ。
こういう見方をすれば、むしろしゅうへい氏は支援者の欲求を叶えていることになる。
続いてBについて。
本当か?
たしかに、ペットを飼うための費用は他人から寄付を募るのではなく自分で捻出する、というのが一般常識だ。これまで幾多の飼い主たちがそうしてきた。
でも、「みんな自分のお金で猫を飼っているんだからお前もそうしろ」という考えは、悪平等以外の何物でもない。
正直、ぼくには「自分でお金を作らなければ猫を飼う覚悟が足りない」と判断する根拠がよくわからない。「お腹を痛めて産んだ子供じゃないと可愛がれない」みたいな話なんだろうか。反例はいくらでもありそうだ。
結局、ぼくには飼育費用の寄付を募ってはいけない納得のいく理由が見つけ出せなかった。
反対意見3.パフォーマンスのために猫を飼うべきじゃない
しゅうへい氏がインフルエンサー活動のために猫を利用しているだけなんじゃないか、という指摘。
これに関しては、まあ確かに直観的に嫌悪感を抱いてしまう気持ちが分からないこともない。
まず、彼が自身の活動のために「猫を利用している」というのは、否定しようのない事実だと思う。けれど、それって悪いことなのか?
「錯覚資産」でおなじみの、ふろむださんのnoteから文章を引用したい。
非営利活動をしている人のほとんどは、
もちろん、善意でやっている。
ただし、それは、彼らの動機の半分しか説明していない。
残り半分は、
「人助けをする自分は、なんて善人なんだろう!」と自己陶酔するのが気持ちいいから、やっているのである。
「人助けをする善人」として、周囲の人々に認められ、尊敬されるのが気持ちいいから、やっているのである。
(中略)
動機が邪だろうが、崇高だろうが、
そんなことには関係なく、善行は善行である。
それによって救われる人々がいれば、動機が営利であろうと、私欲であろうと、どうでもいいではないか。
ぼくはこの主張に全面的に同意している。
しゅうへい氏の行動はインフルエンサー業のための私利私欲を満たす活動であり、同時に猫を救いたいという善意からくる活動でもある。両者は全く矛盾しない。
そして、結果として、殺処分を逃れて飼い猫としての生活を授かった1匹の猫がいる。それでいいじゃん。
思うに、否定派の人たちは、「インフルエンサーとしての私欲」と「猫への愛情」が天秤のような構造になっていて、どちらかが重くなればどちらかが軽くなると思い込んでいるんじゃないだろうか。
語弊があるかもしれないが、しゅうへい氏と猫はビジネスパートナーだ。しゅうへい氏はインフルエンサーとしての集客や好感度獲得のために猫を利用するし、猫は自身の生存のためにしゅうへい氏を利用する。こういう言い方をすると「金の切れ目が縁の切れ目だろ」という批判もありそうだが、そんなことはないだろう。ビジネスから生まれる信頼や愛情だってある。
ステレオタイプな「飼い主 - ペット 関係」と違っているからこそ嫌悪感を覚える人もいるだろうが、これだって立派な、人間と動物の共生関係だとぼくは思う。
誰が不幸になっているのか?
ここまで語ってきたように、この構造はしゅうへい氏と猫のWIN-WINの関係だし、しゅうへい氏と猫と支援者のWIN-WIN-WINの関係でもある。
見たところ、誰も不幸になっていない。既存の枠組みからはみ出した試みであるがゆえに直観的な違和感を持ってしまうことは十分に理解できるけれど、やはりどう考えても何も問題がない。
しゅうへい氏の煽り口調が反感を買って感情的な反対派を増やしてしまっている側面はあるような気がするが、まあそれは微笑ましいツイッター文化だなぁというのが私見だ。
もっと色んな人に真似してほしい
今回のような「インフルエンサーの集客力を利用して、みんなのお金で保護猫を育てる」という構造、社会善だし、もっと広まってほしいと思う。
一方で、反対派の人たちが述べるような懸念事項は確かにある。このやり方を模倣する人たちには、以下の点に注意することを期待したい。
①支援金0でも飼育費用が破綻しないような見通しを立て、支援金はあくまでボーナスと捉えること
②インフルエンサー業の補助として打算的に猫を「利用」してもよいが、同時に猫に対して最大限の愛情を注ぐこと
③支援者に敬意を払い、少なくとも飼育の過程を支援者がある程度把握できるようにすること
以上、ぼくはしゅうへい氏の保護猫polcaを支持する立場で意見を述べてきましたが、お読みいただいたうえで何か思うところあればツイッターもしくはnote経由でご連絡ください。可能な限りお返事させていただきます。
アドライター(@ad__writer)
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