ADHDと全能感

こんばんは。部活をやっていると、メッセージの書き出し挨拶が大抵「お疲れ様です。」になるんですが、note書く時くらいは、ちゃんとした挨拶の方が良いですね。この文章を打っていて思い出しましたが、文章中の読点の数は話すテンポと関連があるらしいです。なんでも、当人の中での話の区切りの意識が反映されるとのことで、多ければそれはゆっくりに聞こえる喋りなんだとか。僕は早口なんですが、割と読点は多めなので、本当かよって思ったり。文学とか読んでても、3行くらい読点のない長文が散見されるけど、みんな早口なんか?とか。でも、理由に説得力はありますよね。説得力と言えば、人の納得の仕方って…。

僕はこんな感じで、いくらでも話が飛んでいきます。人と会話している時、こういう飛ばし方をしても許されるのが、僕を結構理解してくれてる人に限られるので、なかなか我慢の日々なのですが。あんまり楽しくない会話の最中とか、適当に会話を流しつつ、脳内で一人で連想リレーにぶっ飛んでいたりします。京都に来てからはあんまりないので、散歩中とかに発現するわけですが。
はっきり言って、ADHD以外の何物でもない気がします。話が飛びまくることに限りません。過集中はあるし、忘れ物・失くしものはすごいし、興味ないことへの行動の放棄ぶりは留年をちらつかせるほどだし。お金貯まったら、真面目に検査に行こうと思っていますが、お金ないんですよね…。ともかく、ADHD診断あるあるのバーナム効果ではなく、その度が日常生活(あるいは"人間"としての生活)に結構影響をきたすレベルなので、お薬とか貰えたら変わるのかなと考えたりしました。

ただ、ADHDって、多分悪いことばかりではありません。最近ガチ鬱になって死にかけていたので信頼度は低くなりましたが、僕は割と楽観主義だし、根拠ない全能感で漂ってる人間です。某音大生の頂点が「どう転んでも俺の人生は成功するに違いないから時間の許す限り寄り道して自由に死ぬ」なんてことを呟いていましたが、僕のマインドを言語化してくれてありがとうって感じでした。ゲーム依存から脱却すれば、更に寄れる道が増えそうなんだけども。それはそれとしても、僕自身そんなに明るい性格でもないのに、なんでこれが維持されているのか考えると、やっぱりADHDのおかげなのかなぁと。
タスクに追われていても、(罪悪感なくぶっちすることになるからではあるが)人より辛いと感じないし、過集中のおかげで得意分野が持てるから、自信もついている。さすがに忘れ物して良かったことはないですが、まぁメリットがあるわけだから、その代償みたいなものですね。
僕はしょっちゅう「どう転んでも俺の人生は成功するに違いないから時間の許す限り寄り道して自由に死ぬ」のお気持ちを「ふわふわ全能感」とか言っていましたが、悪いものではないです。京都大学では同じ人種(と思われる人)をよく見ますが、そういう空気が京都にはあるのかもしれません。

そろそろ皆既月食を見に散歩に出るので、かなり短めですが結びとします。山に登る予定でしたが、鴨川でいいかなってなっちゃいました。怠惰ですが、まぁ良いんじゃないですかね。それでは。

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