思考の方向、あるいは自分を信じるということ

 私は基本、ネガティブ思考である。加えて、自己評価も低い。自分を信じると書いて自信と読むが、私にはそんなものは無縁である。むしろ、この世で一番信用ならないのが自分自身だと思っている。こんな人間が自信を持つことができるだろうか?

 なんて自己を否定してみたものの、自分を弁護できるのは自分のみである。そして弁護するならば最低限、自分で自分を信じている必要がある。自分の敵も味方も、結局はひとりしかいない。

 何かを信じるにあたって、必要となるのはやはり根拠がだろう。例えば神の存在だって、科学では説明できない奇跡を目の当たりにしたからという理由が有るのだ。そして信じるに足る根拠にしようというのならやはり、信じたい物について深く理解している必要がある。では、信じたい自分を理解するためにはどうしたら良いのだろう。普段考えている事を可視化してみるというのは手っ取り早い手段かもしれない。

 いや、それはまやかしだ。『信じたい自分』なぞ結局は幻想だ。この世には存在しない妄想の産物だ。それを信じる事は健全ではない。自己陶酔の極地、それが自信だ。やはり私は素面で生きるしかないのか。

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