彼の老後を考える。2
岐阜にお店を構えて半年、
お店を閉める事になった。
少し長い言い訳になる。
田舎で飲食店をするにはお店をいかに知ってもらうかが大切なのだが、
予算の都合上、宣伝費を掛けることができない。
それゆえ人との関わり、コネクションがかなり重要になってくる。
それらの作り方、「水商売のいろは」は知っている。
以前ゲイバーで働いていたときにママから散々教わったことでもある。
自分たちが周りのお店に足を運び、挨拶をし、顔を知ってもらう事、他店との「店付き合い」をすることだ。
近くにはバーやスナック、居酒屋など様々な飲食店があったが
何せ皆決まった店に行く様な狭い地域で、知ってもらうには他所の店に行く事が手っ取り早いのだ。
しかし、彼には「店付き合い」の重要さが伝わらなかった。
お店を始めた8月初頭。
「今日は早く終わって〇〇に行こう!」と提案すると
「お客さん来たらねー」「売り上げがあったらねー」と彼。
別の日に「今日売り上げあったから〇〇行こう!」と提案すると
「今日は疲れたから帰りたい」と彼。
「俺1人でも行こうか?」と言うと
「何でそんな悲しいこと言うの?」と彼。
そんな会話を何日も繰り返した。
え??仕事だよ???来客に繋がるのでは?
と思いつつ何故それが必要なのかを諭す事もあった。
しかし59歳飲食店未経験者に水商売の感覚は伝わらないようで、
働いたら働いた分だけお金がもらえる、
足で稼がないタイプのサラリーマンを長年やって来た彼には受け入れ難いものだったようだ。
それに彼はプライベートと仕事を完全に分けたいタイプ。
さらに口酸っぱく言われれば言われるほどやる気をなくすタイプだ。
その上彼は食べる事にあまり興味がない。
好き嫌いも多く新メニューの試作の感想を聞きたくても
「それいらない。」と食べてくれない事がほとんど。
ドリンクは作れるようにしてね?と言っても
普段缶ビールとチリワインしか飲まない彼はなかなか覚えてくれない。
接客の経験もあまり無い彼が何なら出来るのか真剣に考えた。
本来、彼はパタンナーの仕事を個人でやりつつ
基本的に私が店を1人でやると言う話だったはずだった。
しかし現実はそんなに甘くなく、あまり仕事は来なかったようだ。
かと言って59歳還暦間近の彼に他所で働けと言うのも気が引ける。
そうこうしてる間に10月中旬、客足はかなり少なくなった。
たまに顔の知れたお客さん来るが、その方々を入れても週に2、3組の客入りだった。
ロスが極力出ない新メニューを考えたり、
目を引くような商品があればと奮闘するも、
なかなかGOサインがでない。
当然赤字。
残った食材は家で食べるので食には困らないが、あくまでも売れ残り。
いいんだか悪いんだか、何とも言えない。
一方、彼は「今日はお客さん来ますように…」と神棚に手を合わせる。神頼みし始めた。
これはダメだ。この人に水商売は無理だ。
水商売をナメているのか???
と憤りすら感じた。
その1ヶ月後の11月中旬。
借り入れをして続けるか、店を畳むかの話し合いをする事になった。
私1人でお店を運営する事も提案したがそれは嫌だそう。
店の営業は週末だけにして平日はアルバイトを始めようかとも提案したがそれも却下だった。
そんな中、彼に東京に戻って来て服飾の仕事に復帰しないかとの連絡があった。
連絡をして来たのは以前彼がお世話になっていたYさんだった。
前回投稿した、「彼と生きるを考える。」にて彼と再会したYさんだ。
なんと、すごいタイミングで…
思い切って一念発起して構えたお店。
いつかやりたいと思っていた念願の飲食店。
畳むのは正直かなり悔しい。
同時にほんの少し安心した。
彼は水商売より元の服飾の仕事の方が向いている。
それに、来年で60歳。
人生最後の仕事は自分の納得のいく物にして欲しい。
こうして、店を畳む決心は思いのほかアッサリ着いた。
約半年だけだったがいい経験になった。
これから2人で東京に戻る。
家を探しつつ私は次やる事を探す。
私はまだ27歳、これから先は長いし何でもできる。
何か資格の勉強をしながらアルバイトするのもいい。
飲食店はまたいつか、遥か遠い老後にでも1人でやろう。
友人や家族に近々東京に戻ると連絡をする。
友人は優しい言葉を掛けてくれたり敢えて深くは聞かず「待ってるねー!」と言ってくれる人が多かった。
本当に救われた。
母に電話すると「まぁいい経験になったやろう」
「前向きに生きなさい。」と。
父にはLINEで伝えると、「家に戻ってこんか?」と返信が来た。
それは亡き兄の代わりに家業を継げとい事か???
敢えてそうは聞かず、「帰らん」と返信した。
2025年元旦。
閉店に関するお知らせをSNSで投稿した。
実家から届いた餅で彼がお雑煮を作った。
毎年お雑煮を作るのは彼の担当だ。
紅白歌合戦の録画を観ながら頬張る。
「"振り出しにもどる"だね。」と呟くと
「一緒に居てくれる?」と彼。
「どうしようかな〜」とニヤニヤしながら私。
「来年の正月は蟹が食べたい」と言うと
「約束するよ!」と彼。
来年の正月の蟹が決定した。
紅白に出ている椎名林檎を観ながら
働いていたゲイバーで「今年の一曲は?」と言う話題を毎年末にしていたのを思い出した。
今年の一曲はなんだろう。
思い浮かんだのは岐阜に来るときも聴いていた、
椎名林檎の「人生は思い通り」だった。
2025年もこの曲にはお世話になりそうだ。
彼の老後はまだ遠く、
考える時間はまだまだありそうだ。
そんな事を思いながら、
私は今介護の資格について調べている。