彼とお店を考える。
岐阜に来て3ヶ月。
居酒屋を経営する事になって約2ヶ月。
決まったお客さんはまだ少ないが
まだ2ヶ月、これからだろう。
そんなある日、元々働いてた東京のお店が閉店すると言うことで
ラストパーティーの手伝いに行くことになった。
元々働いてたお店は『夜の店』でいわゆる『ゲイバー』だ。
27年の人生、たった4年半とちょっとだったが
人生の多くをそこで学んだ。
いつでも上品に、強かである事、実直である事、人に優しく、親しい人こそ…など色々。
自分でもお店を『第二の実家』だと思っており、
私にとって店主であるママは「東京の母」と言っても過言ではない。
東京から岐阜へ出るときには「行ってきます!」
と言い放って出たほどだ。
そんな店が閉まると言う事で
私は張り切って東京へ出発。
なぜか彼が一緒だった。
恐らく私を心配して…。
その心配には理由がある。
私が花屋の仕事をしながら月に2、3出勤していたときのこと。
私が岐阜に来る直前に卒業パーティーを開催してくれた。
大好きな常連さん達にたくさんのお酒を頂き、
今までに無いほど酔っ払い、
終いには私が潰れて彼と連絡が取れなくなった事がある。
きっとそんな過去あるからこそだと思う。
が、しかし今回は今回。
「私が働いている間何してるの?」
と聞いたところ
「前の職場の後輩とご飯に行く」
との事。
「その後は?」
と聞くと
「飲みに行く」
との事だった。
は?
貴方は何も用がない
いや、無理やり作ったであろう後輩の慰め会(飲み会)
の為に往復二万円以上も掛けて東京に行く必要があるのか?
飯を奢るのか?飲みに出るのか?
こっちはあくまで仕事だぜ?
と心の中で思ったが、
店の経営、経理をしてるのはあくまで彼。
声に出すのは
「あー、そうなんだー」
で留めた。
いや、留めてやった。
行きは節約の為バスで5時間。
帰りは私が何時に営業が終わるか分からない為新幹線。
私1人ならあなたの宿代まで節約できる上にお釣りが出るよ??
と思いつつ
早めに新宿に着いた。
せめて安価でもいいから美味い物を食べようと行きつけのラーメン屋へ。
やっぱり東京のラーメンは美味い。
モヤモヤを晴らすが如くひたすら啜った。
その後彼と分かれ。
店に着き扉を開けると前日の散らかりがそのまま残っていた。
私は現役時代これを『生き様』と呼んでいた。
『生き様』の後片付けも今日で終わりかー
と噛み締めながら店内を綺麗にした。
それにしてもまだ集合時間より早い。
よし、カラオケをしよう。
お店にはカラオケが置かれている。
マイクを手に取り、思い出の一曲を探した。
ところが思い出の一曲が多すぎる。
母は音楽が好きだ。
音楽好きが高じてNACK5で深夜の音楽コーナーを任される程だ。
彼女に教わった曲、一緒に歌った曲は数え切れない。
私はデンモクの中で探せば探す程迷子になり、
結局何も歌わずに無音のまま集合時間までの1時間半を過ごしてしまった。
やがて他の従業員が来て、入るなり
「今日入る店子であんたが最ばばね〜」
と言われた。
最ばば。なんと失礼な。
ゲイバーでは従業員の事を『店子』と言う。
そっかー、私はそもそも店子だったんだーと改めて自覚した。
母は私達の事を『店子』と呼んだ事は一度もなかった。
彼女は『うちの子』と呼んでいた。
結局『店子』にはなれなかったのか、母がそうさせなかったのか。
それと同時に「あんた達の帰る所でありたいのよ」と言う酔っ払った母の言葉を思い出した。
「え、私最ばばなの?」と返す。
最ばばとは歴が長い人の事をいうようだ。
私より歳上の従業員に最ばばと言われると思わず呆気に取られた。
またしばらくして
母が「あんた達早いわよ!」と言いながら出勤。
申し送りをいくつかして
「ご飯行ってくる!あとはよろしく!」
と言い捨てて颯爽と店外へ…
まぁいつものことだと自由な母を見送りつつ
開店の準備をする。
最後の営業に相応しい当店の選抜メンバーが揃い、
今日の営業の流れの確認をする。
しっかり二日酔い対策をする事、支え合う事。
何より今日を楽しむ事を共有した。
それから母がご機嫌で戻り、
当店最後の営業が始まった。
たくさんのお客さんと
たくさんのお酒と思い出に浸りながら。
私が先ほど歌いそびれた思い出の曲達はお客さんがほぼ全て歌ってくれた。
1人また1人と別れを告げる様に。
外が明るくなってもお客さんは絶えず、
21時に始まった営業も気付けば翌昼12時を回っていた。
大好きな店が終わって行く。
そんな中、店内に大音量で流れた曲は
椎名林檎の「青春の瞬き」だった。
これは私の前にこの店を去った先輩が1番好きな曲で
彼の卒業の時にみんなで熱唱したのをよく覚えている。
ふと客席を見渡すといつもの顔ぶれと共に
既に帰った顔ぶれ、都合により来れなかった顔ぶれまで
揃っているようだった。
「時よ止まれ」歌詞にあるように私はそう願った。
この中の誰一人欠けてもこの店は無かったと思う。
私はこの光景を目に焼き付け、泣いた。
14時ごろ惜しまれつつも閉店。
お客さんをなんとか帰し、
従業員みんなでいつもの様になんて事ない話をした。
最後母と私の2人になり、またなんて事ない話しをした。
「どんな店にしたいの?」と母
「こんな店にしたい。」と私。
お酒のせいか覚えてるのはそれくらいだ。
母が店にお別れを言うとの事で先に店を出る私。
悩んだ末、口から出たのは
「いってきます!」だった。
「いってらっしゃい!」と笑顔の母。
そこには紛れもない親子の姿があった。