第二回座談会③ロビン・マナバット「アポロ一号の笑い、不幸を生きることのしあわせ、身体の硬さ」
かれら:では次はロビンかな。ロビンはテクストを作ってきました。どういう経緯でこれを書いたのか、軽くコメントをお願いします。
ロビン:はい!ロビンです。かれらの戯曲を読んでいるときに、今回挙げたザ・クロマニヨンズの『涙の俺一号』を聞いてたんだよね。このふたつは似てはいないんだけど、読むときに急に聴きたくなった。というのも、全部つながっていると思ったんだよね。戯曲には〈イヌじゃない。〉っていう文が一番最初にあるでしょ。でもそれは、イヌしか想像できない。このザ・クロマニヨンズの歌詞も、笑っているように見える。見えるけど、そうじゃないってことが、分かる。そういうことがつながってるなと思った。みんな、この二曲は元々知ってた?
かれら:おれは、Go! Go!7188 は、今回ロビンのテクストで初めて知って聴いた。
ロビン:あ!聴いた?ふふふ(笑)こっちは、歌詞の中に出てくる「アスファルト」が砂漠と繋がってるかなと思って。で、アスファルトに出て、干からびてからやっと気づくんだよね。気づくのが遅いんだよ。ここもすこしリンクしていると思った。〈砂漠は、暑いというよりも見える〉みたいな、暑さよりも先に視覚がやってくるところとかも、通じるところがあるなって。
かれら:なるほどね。僕は今回、これを読んで「かなしみ」というのに注目したんだよね。ロビンのなかには、かなしみが前提にあると思ったんだけど。
ロビン:それはね、これはかなしい戯曲だな、と思ったんだよ……。でもロックバンドだと、ライブであの曲を聴いてもかなしいとは思わないじゃん。それが大切なのかなと思った。
かれら:おれは結構、「かなしい」という感情がロビンのなかでメインかなと思ったんだよ。でも違うんだ。
ロビン:うん、そういうわけではないかな。モチーフが似てるな、と思ったの。
かれら:おれがこれ読んで笑っちゃったのはさ、途中で、〈おれもなにかの一号になりたい〉って書いてあるんだよ(笑)
安瀬:あー、めっちゃわかる、わかるよ。
ロビン:一号って、かなしいじゃない。自分がなにやってるのか、周りに気づかれるのが遅いでしょ。
かれら:「かなしい」っていうのはさ、外からの視点だと思うんだよ。女の子にフラれてビンタされてさ。そのとき、「かなしい」って感情は、後から出てくるんだよ。そこにいる瞬間は、そのビンタの衝撃だけなんだと思う。ザ・クロマニヨンズの歌詞に出てくる〈アポロ一号〉は、ロケットが爆発してるわけじゃない。ロビンが言うように、それが歌になるっていうのは、その出来事のただなかにいるっていうことなんじゃないかと思う。ただなかにいるとき、ひとはかなしくないんだって、おれは思う。
ロビン:一歩引いた後に、かなしみがやってくる。
かれら:うん。時間的にはほとんど一緒かもしれない。でも自分のなかにいる、メタ的な場所にいる自分が、ビンタされた自分の状況を把握してかなしんでるんだと思うんだよ。叩かれた瞬間は、痛みとか衝撃、ドーン!ていう感じが一番で、かなしみはそのほんの一瞬後にくる。そのドーン!は、人間が生きている証しで、人間の身体の部分で、かなしいとかいう問題じゃない。で、このドーン!をもう体験させる、出来事のただなかに受容者を置くっていうのは、芸術作品でやれることの一つだと思う。
小説家の小島信夫に『うるわしき日々』っていう作品があってさ。主人公の息子がアルコール中毒でいろんな病院を転々と入院して、主人公とその妻はその世話ですごく大変な日々を送ってる。で、そのストレスで奥さんも健忘になる。こうやってあらすじを言うと悲劇的でしょ。でも小島信夫は『うるわしき日々』ってタイトルを付ける。これはベケットがヴェルレーヌの詩の一節から借りた戯曲のタイトル『ハッピー・デイズ』からきてるんだけど、皮肉でもなんでもない。今の社会は、「かなしいことはいけないことで、全部なくすべきだ」っていうふうに動いてるよね。それも大切だけど、おれは一見不幸に見えるような複雑さを生きるっていう、それはそのまましあわせなことだと思う。しあわせっていうのは、普通その言葉から想像するような、楽しかったり豊かだったりすることとは全くちがうものなんだと思う。でもこれを戯曲の物語としてやろうとすると、なかなか難しい。単にかなしいことを書いてるようにも見えちゃう恐れがあるからね。
ここから先は
NO PROGRESS
——この不完全に、戦慄せよ。「NO PROGRESS」は、リアルタイムで演劇の制作過程を見ていただくことにより、より制作者に近い観点から演…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?