【マシュマロ返信】愛の強さでコントロールできるもの、できないもの
お久しぶりです〜少し前に何気ないつぶやきポストがバズったんだけど、そのときに届いていたマシュマロに答えていきます。マシュマロの内容は画像の通り。元のポスト自体はこちら↓(超絶長いんだけど、よければリプ欄まで読んで〜!)
では早速。
まず、過去に強く傷ついた経験があったり、本人の力で変えるのが難しい要因(家庭環境や学習環境など)によって自身の言動が他人を傷つける恐れがある状態の人っていうのが世の中けっこういるんだよね。ニュートラルな状態(誰のことも傷つけないような状態)からどんどん余裕がなくなって嫌なやつに進化していく→結果モラハラする…という仕組みではなく、悲しいことなんだけど、他人を傷つけてしまうような性格的要素が元々心の内にあって、でもそれが暴れてしまわないように一生懸命蓋をして過ごしているというタイプがいるわけ。そこが、送ってくれた人の中には感覚としてないのではなかろうか…と一番最初に気になりました。
そして、例のポストに対する反応の中にも多かった「実際こういう風に悩むことができる人は、子どもができてもモラハラなんかせずに育てられるだろう」という意見。これも、内容自体が真実かどうかはさておき、そう感じる人の多くは「自身のモラハラ気質みたいなものを自覚していて悩むことができる=モラハラ気質を自制できる」と考えてこの感想に至ったのではないだろうか。つまり、このコントロールしようという心がけは特に間違ったことではないし、みんながすぐ思い至るようなものでもあるんじゃないかな。
なんで他人を傷つけるような要素を持っているんだー!酷いやつ!!最低!!!と言いたくなるかもしれないけれど、そう思えるのなら、送ってくれたあなたがそういう気質を身につけないで済むとても綺麗な道を歩んで来られたからかもしれない。そしてそのこと自体は本当に素晴らしいことなのだけど、世の中の誰しもが自分と同じだと思ってしまうのはかなり危ういよね。だって世の中には、本当に、本当〜〜〜にいろんな人生を生きてきた人がいるから。もし若さゆえにそのことに気づいていないのなら、きっとこの先気づくことができる機会が訪れるだろうから頭の片隅に置いておいてほしいな。わたしより年上の方だったならばごめんなさい。
話を戻すと、さっきの「暴力性に蓋をしている」みたいなコントロールの構造はたぶん、
・めちゃくちゃ握力の強い人が人と握手をするときには相手の手をできるだけ優しく握るようにしている
とか、
・大人が小さな子どもと歩くときにはゆっくり歩く
とか、そういう心構えと大差ないんじゃないかとわたしは思う。…というと納得してもらえるだろうか?
そして、握力が強い人だって、何か別のことに気を取られていて、うっかりいつものパワーで握手してしまうことがないとは言えないし、子どもと歩いている大人が、どうしても急がなければいけない理由があって小走りになることも考えられる。それがさっきので言う「蓋が開いた」状態。これだけ見ると、握力の強すぎる人も子どもと歩く大人も「悪い人」ではないじゃん。でも、そういうことってあるよねって話。
そして、わたしの同僚はきっと「そういうこと」を引き起こしたくないと強く思ったのだと思うよ。うっかり強く握手してしまうのも小走りになるのも、状況次第では悪いことではないのかもしれないけれど、それでも相手を傷つけていることには変わりがない。相手のことが大切で仕方がないからこそ、どんなときであれ相手を傷つけるような存在になりたくないと強く思ったんじゃないかな。そしてそれって、リプ欄にも繋げたけれど、わたしは優しさであり勇気あることだと思うのよ。脆い愛情なんてものとは真逆の。だって好きで好きで仕方なくて、自分を含めてこの人を傷つけるあらゆるものから守ってやりたいと思っているからこその思考じゃないの。これは強い愛情だよ。絶対そう。
そしてもう一つ。コントロールにおける「蓋をする」という部分だけど、この蓋の重石の役割って、愛情の強さや大きさで何とかなるものとは限らないと思うのよ。送ってくれた人は、愛が強ければ重石が強固なものになると考えていると思うのだけど、たぶんそんな単純な話ではない。例えば痛烈に記憶されている過去の辛い記憶だったりが、フラッシュバックのような形で蘇ったときに、重石がまるで軽石のように吹っ飛んでいくとか、そんなの全然あると思う。そしてそのとき、さっき書いたように少なからず相手を傷つけることに繋がるだろうから、重石が軽石になってしまうような要因は作らないでおこう…みたいな発想があってもおかしくない。この辺は、わたしも同期の過去を全て知っているわけじゃないから彼がそうだと言いたいわけではないけれど、わたし自身、わたし自身の経験からそう感じる。…なんかあるのよ、思いがけない瞬間に自分の嫌な部分が垣間見えて鬱々とする、あーわたしってこういうところあったわ。最悪…って情けなくて悔しくて気分どん底になる…みたいなこと。
ということで、長々書いてきて言いたかったことは、相手への愛の強さは重石の強固さを担保しないということ。シンプルだね。何となくでも伝わったかしら?そもそも読んでくれているのかな?読んでくれていれば、そして少しでも響いていればうれしいね。でもそれがわからないのがいいところであり悪いところだもんね。…はい、久々のnoteでした。それでは。
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