家猫が20年生きて死ぬとき
家猫として20年間共に暮らしてきた猫が死にました。家猫が死ぬ時ってどうやって死ぬのか気になりませんか? 20年間共に生きてきた猫が死んだので、その時のお話を書きました。
雑種でメス猫です。
お涙ちょうだいのお話ではありませんけど、20年間生きてきた猫が死んだので、弔いの意味も込めて書こうと思います。
家猫が20年生きて死ぬとき
猫は死ぬときは人の目に晒されないところで死ぬとか言われていますが、うちの猫も実際のところそういった挙動をしていました。うちの猫は、押し入れの奥の方に入ったまま出てきませんでした。
一週間に一度くらい押し入れから出てきて水を飲んで、また押し入れに入って寝るという感じでした。その時間、わずかに10分間くらいです。
そして、押し入れの奥に入ったまま息を引き取りました。
本当に長生きをしたと思います。
死ぬときも死んだときも判る
何故だか判りませんが、もう死ぬんだろうなというのは判ってました。黒い影がチラついていたからです。黒い影?何それ?そんなの幻覚でしょと思われるかもしれませんが、死ぬ時ってそういう報せがあって、たまたま黒い影がチラついていて、それが死の報せなんだろうなとは、誰かに教わらなくても判りました。戯言のように思われるかもしれませんが、そういう疎通ができてるんですよ。
死因は老衰です。
家猫ですから、天敵は居ないし、ワクチンも打ってもらってるので病気になることもないし、食べ物もあるし、寒さを凌ぐための寝床もありましたので、死ぬときは完全に寿命でした。どんなに健康で生きていても、寿命があるようです。
死ぬときが来たんだなと気付いたのは、寝ている時間が多くなったからです。1日24時間のうち、寝ているのが23時間くらい。あとの1時間は起きてきて、ご飯食べて、水を飲んで、毛づくろいをして、背伸びしているくらいです。
もともと、犬とか猫というのは睡眠時間が長いのが普通のようです。
最近、寝ている時間が長いなということに気付いて、そろそろ死ぬのかなと思ってました。
不思議と悲しみはありませんでした。もう、20年間も生きてましたし、もともと捨て猫でしたから、十分過ぎるくらいに生きたと思います。
押し入れに入っていても死んだのが判った
不思議なんですよね、見てないんですけど、死んだのが判りました。押し入れの奥で死ぬのを待つかのように寝ていたんだろうと思うのですが、死んだということが判りました。
テレパシーじゃないけど、勘というか、何か感じるものがありましたね。20年間もいっしょに生きてきたので、不思議と意思の疎通ができているような感じがしました。もしかして息を引き取ったかなと思って、押し入れを覗いたら、動かなくなってました。鼓動もありませんでした。
2018年5月9日 木曜日
息を引き取りました
20年間も一緒だから意思疎通ができる
猫が好き、犬が好き、ペットを飼ってる、動物が好きという人は判ると思うのですが、言葉が通じなくても、意思疎通ができるんですよね。何を言ってるのか、何を伝えようとしているのか判るんですよね。
あれって不思議な感覚ですよね。
うちの猫は長く生きていたということもあるし、小さいときから周りに人間しか居なかったので、自分も人間だと思っていたはずです。人間と一緒に食事をして、一緒に寝て、そして起きて、共に生活をしているので、日本語を話すことはできなかったけど、20年間という長い年月のなかで、学習をして、猫なんだけど、猫より進化した猫っていう感じになってた気がします。
うちの娘には懐かなかったけど
うちの猫は娘には懐かなかったですね。うちの娘が口先をとがらせて、チュチュ、こっちおいで!といってもシカトしてましたからね。それも、そのはずです。だって、猫の方が年上でしたからね。
娘が生まれる前から居ましたから。
うちの娘が高校三年生で18歳になりました。
猫の方は20年間生きていたので、20歳です。
きっと、猫は娘に対して私の方が年上なのに、上から目線で呼びやがってと思ってたのかもしれませんね(笑)
枕を使って寝るのがうまかった
猫のくせに枕を使って寝てたんですよ。偉そうに、丸めた毛布にもたれかかって、生意気な態度をすることがありましたね。
ここは、私の場所!みたいな感じでしょうか。他の猫も居るので、自分の寝るスペースを主張するかのように、わざと悪態つくかのように寝てました。
上の写真を見て判る通り、丸めた毛布を枕代わりにして寝てます。態度悪いですよ~ 寝相が悪くて、顔もブサイクですけど、これでも女の子ですからね。この腕の入れ方、酔っ払いのオッサンみたいです(笑)
20年間は長い
20年間は長いですよ。私が26歳でしたし、パソコンはWindows98でネット回線がISDNの時代でした。その後にADSLが登場して、やっと光ファイバーなるものが登場します。当時はスマートフォンというものが無くて、ガラケーでしたね。i-mode という携帯電話でやっとネットとeメールが使えるようになった時代でした。
それから10年後の2007年頃にPDA( Personal Data Assistant )なるものが登場しました。現在でいうところのスマートフォンの原型ですね。iPhone1G、iPhone3Gは迷わず買いましたけど、イマイチでしたね~、今では考えれないかもしれませんが、本体を買って、自宅でパソコンにつなげて、自分でアクティベートして、iTunesからキャリアの契約をしなきゃいけないという煩雑な作業があって、細かなトラブルが多かった記憶があります。
猫をガラケーで撮った写真もありました。なんと2006年2月にガラケーで撮影をした写真です。当時は解像度が小さくて、120×120ピクセルでした。
上の写真は洗面台の鏡扉の下に潜ってるところです。夏は暑いので、よく洗面台のボールのところで寝てましたね。きっと冷えて気持ちが良かったんだろうと思います。
上の写真は伸びしてるところです。
時の流れと、電子デバイス関連の進化が垣間見えます。
キミはどこから何のために来たの?
この猫、何のために私の前にあらわれたんだろう。何か意味があったんだろうと思います。体調が悪いときも、仕事が大変だったときも、楽しいときも、悲しいときも一緒に居てくれた。20年間一緒に過ごしてくれてありがとう。
今は、そんな言葉しか思いつかないけど、また来世で会えそうな気がする。
生命は進化しない
ひとつ確実に言えるのは、生命は進化しないということです。便利な時代になっても、デバイスが進化しても、ネットが普及しても生命が進化することはありませんし、尊くて、儚くて、もっとも大切にしなきゃいけないということです。
優しい言葉をかけてあげて、愛情を注いで、話を聞いてあげて、傍にいてあげる・・・そんなことが、どれだけ大切なことなのかを再認識しました。
これって、猫だけではなく、人に対しても同じです。
優しく、愛情を持って接して、話を聞いてあげて、理解してあげて、傍にいてあげる。人間だからとかじゃなくて、生命あるもの皆寄り添うことが大切なんだろうなと思いました。
猫とか、犬とか、動物、植物とか、そういった小さな生命の方が人間よりも高い次元で生きているような、そんな気がしました。