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夏風邪(四)

2016年 9月  東京 紗和

圭吾と過ごした北海道は私にとって幸せそのものだった。手を繋ぐ、たったそれだけのことが私にとって特別なことに思えた。東京に戻ってからですら、しばらくの間どこか上の空だったのだ。私は宝物を見つけた子供かのように、誰にも言わずに自分だけのささやかな秘め事にした。

夏休みのアバンチュールに翻って、9月半ばを過ぎた今は、ゼミ漬けの日々に追われていた。
ありがたいことにゼミ生の推薦で、台北大学への短期留学リーダーに選ばれた。毎日、台北大学の学生とのディスカッションのための資料作りに勤しんだ。PCと睨めっこしては、教授から駄目出しをもらい、図書館を物色して文献を読み漁った。

台北への短期留学が、あともう少しというところまで迫っている。資料作りも大詰めだ。
今日も夜遅くまで、図書館で調べ物をしている。もう夜10時に差し掛かろうとしていた。他のゼミ生は帰り、図書館に私以外誰もいない。

大きな窓の外は真っ暗で、深々と闇が広がる。室内の蛍光灯に照らされた私の姿だけが、ぽつんと場違いかのように窓ガラスに映っている。異様なまでにはっきりと。
ふと、蓋をしていた寂しさが急に込み上げる。

圭吾とは旅行以来、連絡を全く取っていない。声を聞きたいと思うのに、ずっと躊躇っている。鬱陶しいと思われたくなかった。私は臆病者だ。あるいは彼からの連絡をひどく待っていた。こんなに忙しいのにも関わらず、脳裏にはいつも張り付いたかのように、彼の笑顔ばかりが浮かんだ。

ゼミの当日、台湾行きの飛行機は台風の直撃に遭った。フライトが数時間遅れたものの、何とかスケジュールに間に合い、安堵した。
台北大学の学生は英語を流暢に話し、ディスカッションは成功に終わった。彼らはとても親しみやすかった。
台湾独特の甘いスパイス 八角の効いた料理を食べながら、飲み交わした。数名の学生は日本に留学に訪れたいとすら話しており、私も連絡先を交換した。

11月に入り、賑やかな学園祭の時期になった。イチョウの黄色は鮮やかに大学校内を彩り、新たな季節の到来を見せた。
気まぐれ程度に参加していた、バレーボールサークルも、飲食の出し物をすることになったようだ。奈々に誘われ、久しぶりに顔を出すことにした。
同級生で登山好きの奈々は、登山サークルにもバレーボールサークルにも入っている。なんて体力の持ち主なのだろうと思う。

しばらくぶりに参加したサークル飲み会の後、幹事長をしている優弥から個人的に食事に誘われた。
彼は女子に人気のタイプで、私は少し驚いた。一つ上の学年で、いわゆる好青年だ。理系でiPS細胞を研究している。真面目な面もある一方、お酒に詳しくグルメらしい。

私は圭吾を忘れた日はなかった。しかしずっと一人寂しく過ごすのは、だんだん辛くなってきていた。離れ離れになるのを、あの日の私達がどこか遠くへ流されていくのを、私はただ見ていることしかできなかった。
私が待望していた圭吾からの連絡は、優弥との食事の日まで、とうとう来なかった。
圭吾はやはり、私にはもう興味を無くしてしまったのかもしれない。

正直なところ、圭吾に再会するまではサークルの幹事長たる優弥に少しだけ思いを寄せていた。
彼はいわゆる「モテる」存在であったのに、なぜか誰とも付き合わないでいた。サークルにあまり来ないような私に、彼が興味を抱くことは、嬉しいとともに、いくらか意外で疑念を抱いた。

しかし逢瀬を重ね、私は素直に優弥との時間を楽しめている自分に気づいた。知らぬ間に圭吾のことでぼうっとすることも少なくなっていた。
そんな中、クリスマスのデートでついに私たちは付き合うことになった。彼との日々は楽しく、彼はいつも優しくて何一つとして過不足ない。私は優弥ときちんと向き合い、圭吾のことを考えるのをやめた。


そして年の瀬に、何の前触れもなく圭吾が北海道から東京に帰省した。


中学からのメンバーGMで集まり、忘年会をした。「最近どうしてるの?」と聞かれ、私はまるで圭吾への気持ちを一方的に終わらせるかのように、彼氏ができたことを皆に報告した。
一瞬硬直した圭吾を私は見逃さなかった。ほんの一間だった。すぐに張り詰めた笑顔でとりなし、「おめでとう」と祝ってくれた。

彼氏ができたと話した後で、どういうわけか圭吾は私を来年の6月に開催されるYUKI のコンサートに誘った。
今更すぎる。皮肉なことにそんなことを言われたってもう遅い。わたしには優弥がいる。そう頭ではわかっていた。それなのに、彼からの誘いに少しでも喜んだ自分が、哀れでどうしようもなく情けなかった。

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