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Outer Wilds:DLC考察5

この記事はDLC考察の5回目です。前回はこちら

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注意:この記事には『Outer Wilds』本編およびDLC『Echoes of the Eye』の重大なネタバレがあります。未クリアの方の閲覧は推奨しません。


















一連のDLC考察記事も今回が一応最終回です。何事にも終わりはある。

ここまではDLCのメイン要素である流れ者、住人、そして囚人について書いてきました。しかしDLCにはもうひとり重要な登場人物がいる。我らが主人公その人である。あえて今まであまり触れてきませんでしたが、今回は主人公およびプレイヤーの話をして、DLC全体の話のまとめとしたいと思います。考察というより感想寄り。

物語を作る者

DLC考察記事の1回目でDLCと本編の対比についていくつか書いてみたが、今回はまたひとつ別の対比を挙げておきたい。ゲーム本編では、プレイヤーは宇宙にある様々な惑星や衛星を訪れては探索していくのが基本的な攻略スタイルだった。すべての惑星には先輩の宇宙飛行士たちが待っており、星系のマップもあらかじめ用意されていた。量子の月に着陸したHearthianはいなかったが、6分の1人ほどの先客が既にいた。持って回った言い方をしましたが、要するに本編の冒険の舞台は既に大半が誰かが行ったことがある場所だったわけです。

対してDLCは「今まで誰も知らなかった場所を冒険できる」という大きな違いがある。あの宇宙では極めて貴重な、NomaiにもHearthianにも存在すら知られていない場所で探検ができる。なにしろ天体そのものが目に見えないのだから、流れ者に突入した時点でプレイヤー=主人公は正真正銘の大発見をしたことになる。探索者、冒険家としてこれほど魅力的な出来事はそうそう無いだろう。

見るもの全てが初めてなので、発見した物事は全てが新発見になる。新しい言語、新しい技術、もちろん新しい種族も。見慣れない道具や初めて見る場所に名前をつけていくのも発見者の特権だ。太陽の寿命が残り22分でなかったら、主人公は確実にHearthianとOuter Wilds Venturesの歴史に名を刻む存在になっていただろう。

流れ者には(解読可能な)文字情報が存在しないので、流れ者特有の物体や場所は正式名称が全く分からない。厳密に言えば本編でNomaiたちが命名して呼んでいた物事もHearthianの言葉に翻訳されたものをプレイヤーが読んでいたわけだが、DLCについてはその翻訳元のテキストすら存在しない。大体のものは、主人公がその物体を見て「これはイカダだろうな」「幻影が見られる松明だからビジョントーチと呼ぼう」「隠れた場所にある谷だから『隠れ峡谷』だ」などと思いながら名付けていったのだろう。それにしても『流れ者(The Stranger)』は結構センスのある命名だと思う。やるな、主人公。

しかしワクワクも束の間、流れ者の情報を辿っていくにつれて我々は徐々に闇の中へと足を踏み入れていくことになる。流れ者種族の暗い過去、Nomaiが心から求め続けた『宇宙の眼』の暗い面に。

DLC考察記事の第1回の最後に『好奇心の別側面』という言葉を使ったのには複数の理由がある。最初に触れたのは「好奇心は恐怖と表裏一体である」という話。今回触れるのは「好奇心とは必ずしも全面的に肯定されるものではない」という点だ。Outer Wilds本編のプレイヤーは純真無垢な探求者だったが、DLCでは事情が異なる。実はDLCでの冒険には必然性も正当性もないからだ。

設定上の話では、主人公は(友人のHalと共に)Nomai語の翻訳ツールを開発し、おそらくはNomaiの遺跡を自分の目と足で探索するために宇宙飛行士になった。その先輩である宇宙飛行士たちもNomaiの遺跡を訪れたり調査の対象としている。Nomaiの技術力はHearthianの生活や宇宙進出にも役立てられており、Nomaiの研究はHearthian社会(人口が十数人しかいないとはいえ社会ではある)にとって有意義な活動と言える。

対して流れ者での探索はどうだろうか。流れ者種族は生命活動の有無という基準でいえば絶滅しているが、彼らは存在の形を変えて今もそこで生きている。住人は自分たちの宇宙船をクローキングフィールドに隠し、自分たちの現在の居場所を隠した。なぜそうしたのかは流れ者の言葉が分からなくても分かりきっている。誰にも見つかりたくないからだ。数万年前に絶滅している種族であるNomaiの遺跡とは全く状況が違う。今も人が住んでいるのだから、流れ者は「遺跡」ではない。住人たちの願いはただ静かに、心穏やかに過ごすこと。危険なものや恐ろしいものから隠れて平穏に暮らしたいだけ。そこに無断で足を踏み入れた我々プレイヤーが歓迎されるわけがない。

ここで質問です。誰もいない遺跡だと思って探検に行ってみたら、そこには普通に人が住んでいた。住人はあなたを追い回し、もう来るなと怒って追い返した。さて、あなたが次にする行動は何だろうか? 「もう一度その遺跡に入る」? ちょっと待て。

/ いい加減にしろ \

……急にふざけましたがDLCの中盤以降の展開を端的に言えばこうである。言葉は通じなくとも住人たちは明確に「帰れ」と意思表示をしている。現実世界の流れ者ならまだしも、模擬現実での探索はどう言い訳しても不法侵入だ。本編では宇宙で起きる大イベントの原因を突き止める大冒険をしたのに、これではまるで墓荒らしじゃないか。かなり酷いぞ。実際、模擬現実は住人にとって死後の世界のようなものなのだから荒らしているのは「墓」どころではない。死者の安寧を何だと思っているのか。

そしてプレイヤーは墓荒らしの代償としてホラー展開に襲われることになったのだった。冷静に考えると、流れ者の探索の先に何があるのかは全く分からない。例えば「この先に進めば宇宙の終わりを回避できる方法があるぞ」と明言されているならそのご褒美がモチベーションや大義名分になるかもしれないが、そんなものは何ひとつ無い。なぜ知りたいのか、何が知りたいのか自覚もないまま、正当性もなく他者の秘密を暴こうとしている。とてもじゃないが褒められるような行いではない。

筆者含め、ホラーが苦手なプレイヤーたちは突如襲ってくる住人の恐怖におびえながら攻略を進めてきたわけだが、本当に怖い思いをしたのはむしろ住人たちである。数十万年も平和な暮らしをしてきたのに、突然なんか青い肌でまだら模様で羽毛も角も生えてない目玉が4つもある妖怪みたいなやつが、自分たちが用意した数々のセキュリティを突破してやって来た。怖くないはずがない。控えめに言って泣きながらガタガタ震えてもおかしくない状況である。それでも立ち向かってきて的確な手段で冷静に追い返そうとするのだから住人は勇敢ですよ、冗談抜きで。

Hearthianや流れ者の法律に不法侵入やプライバシー侵害といった概念があるかは知らないが、穏やかに暮らしている他種族の居住地を一方的に踏み荒らす行為が善とされるものだとは到底考えられない。しかし、正当性は無いにしても主人公(とプレイヤー)には何の動機もないわけではない。住人たちと我々にはたったひとつだけ繋がりがある。『宇宙の眼』という繋がりが。かつてはNomaiが心から探し求め、そして主人公が(勝手に)受け継いだ『眼』の探求という仕事。Nomaiは既にこの世を去り、この宇宙で『眼』の手がかりを知る者は極めて少ない。となれば、わずかな情報でも知りたいと思うのが探求者としての人情だろう。

念のため言っておくが「動機があるから」というだけで不当な行為が何もかも正当化されるわけでない。だが、それでも知りたいという心もまた好奇心の一側面だ。皮肉なことに、この「大義名分も何もないがそれでも知りたい」と思う心はより純粋な好奇心そのものでもある。探索を進めるにつれ、住人たちも『眼』の探求を(Nomaiとは別の理由で)止めてしまったことが明らかになるが、だとしてもまだ彼らには特大の秘密がありそうだ。しかし彼らはそれを暴かれるのを拒んでいる。物言わぬ石造りの遺跡の壁ではなく、明確な敵意がプレイヤーの前に立ちはだかる。

だからこそDLCの物語には恐怖の要素が必要だった。ただ純粋に知りたいと思う心を試す、好奇心を阻む敵としての恐怖。ゲーム本編には存在しなかった拒絶と悪意にプレイヤーは直面することになる。暗闇の中で、それらはあなたに問い続ける。お前はここでは全く歓迎されていない存在だ。このまま進み続ければ恐ろしい思いをするかもしれない。奥底へたどり着いても何かを得られる保証はない。期待したような結末が待ち受けているとも限らない。それでも本当にこの先を知りたいのか?

思えば現実世界で翻訳ツールが役に立たないのも、模擬現実でジェットパックが使えないのもDLCのホラー要素を引き立てる要員になっていた。肝心な場面で当たり前のように出来ていたことが出来なくなるのは自分の力を削がれるのと同じで、単純に怖い。多少のホラー耐性があるプレイヤーでもこれには困るだろう。死角から血みどろのバケモノが飛び出してきても真顔で銃をぶっ放せるタイプのプレイヤーには物足りないかもしれないが…

DLCの物語は、ある意味で始まった時点で終わっている。主人公が流れ者を発見した時、既に登場人物である住人たちは自らの手で自分たちの物語の最終ページを描いてしまっていた。住人の意識は今も存在し続けているが、彼らはもはや帰るべき肉体を失った幽霊のような者たちだ。主人公の行いが彼らを変えることはない。せいぜい追いかけられるルートがループごとに少し変わるくらいだ。彼らは自分たちの意思で彼らの最期を決めた。苦難の果てに「悪者」を倒し、愛する懐かしい故郷で永遠に暮らしたという結末は、見ようによっては美しいハッピーエンドかもしれない。

だが、そうして美しく完結したはずの物語には続きがあった。住人は自分たちの物語は終わったと思い込んでいたが、その後の宇宙には流れ者の物語を受け継いだ者たちが現れ、物語に新しいページを記していった。その者にそうしようという意図が特に無かったとしても、生きている者が何かをすればその影響は確実に何かを変える。もちろん「知ろうとすること」もそのひとつだ。その力は時に終わってしまった物語の結末を変えることもあるかもしれない。

私たちが何もしなければ、何も知ろうとしなければ、別の結末を見ることは出来なかった。それが良いことでも悪いことでも。先程の問いに答える方法は、やはり「知ること」以外になかったのだろう。主人公のビジョンが旅立ちのシーンで終わっているのは「物語はまだ終わっていない」というメッセージそのものだ。宇宙にはまだ探検できる場所が残っている。

この微妙に中途半端な位置に巻数表示のフォーマット無視で物語の続きをねじ込む演出、あまりにも良すぎる

余談:流れ者のスライドリールには全4巻以上の巻数のものは存在しないが、ゲームデータ上では主人公の最後のビジョンにはStoryの5番目のナンバーが割り振られている(※DLC考察記事・第3回の小ネタ参照)。
ついでに全4巻といえば、流れ者のエリアが4つに区切られているのは流れ者自体が巨大なスライドリールであるという比喩表現のようで粋だなあと思います。

眼の残響

ここで前回に引き続き囚人の謎についてもうひとつ触れてみたい。DLCのラストで我々はついに囚人との邂逅を果たした。お互いの情報を共有し合ったあと、囚人は遠吠えのような咆哮を上げた。強い感情表現であることは理解できるが、何故その感情に至ったかまでは言葉が通じないので分からない。

分からないなりに想像してみよう。囚人は、長年閉ざされていた牢の入り口が突然開かれ、何者かが侵入してきたことにまず驚いた。照明を消して部屋の奥に引っ込んで闖入者の襲来に備えようとしたところ、目の前に現れたのは全く見覚えのない、子供ほどの身長しかない異種族だった。だが異種族とはいえ何も事情を知らない者がここに来るのはありえない。この異種族は自分たちの身の上に何が起きたか、ある程度の事情を知った上でここに来たのだろうと囚人は推察した…と思う。
(並の精神力の持ち主ならこの時点でパニックになってもおかしくないが、少しの抵抗と困惑を見せた程度ですぐに冷静な態度に戻っているのが凄い。Solanumといい勝負)

そこで囚人は主人公に自らの罪を告白した。私は『宇宙の眼』の信号を解き放ったが、その行いが仲間たちに理解されることはなく、私は一族を裏切った罪で投獄された。信号は再び封印されてしまい、私がしたことは無意味に終わった。物語のスライドリール第4巻を囚人の目線で解釈するなら大体こんな感じになるだろう。この時の囚人は主人公が訪れた目的を知らない。この異種族が『眼』について何を知っているのか、『眼』をどう思っているのかも知らない。だからこそ最初にこの話題(会話ではないが)を選んだのではないか。特にしがらみのない間柄とはいえ、初対面の相手に「自分は眼に与した過去を持つ罪人である」と告白するのは勇気の要る行動だったと思われる。

しかしそんな覚悟をよそに、その後の主人公からの返答は囚人にとって全く思いがけないものだった。主人公は囚人の行動を肯定も否定もせず、ただ自分が知っている事実だけを述べた。あなたがあの時解き放った信号が、巡り巡って私をここに導いた。シンプルな内容だが、それゆえに囚人には衝撃だったに違いない。

住人たちが歩みを止めた後、また新たに『宇宙の眼』を求める一族が現れた。その一族は大きな不幸に見舞われようとも『眼』に向かって進み続けるのを止めなかった。更なる不運が彼らを襲い、再び宇宙に静寂が訪れても、そこにはまた別の形で彼らの意思を受け継ぐ者が出現した。その者は『眼』の正体を知り、『眼』に関わった者たちの悲劇的な運命を知っても、それでも探求を止めなかった。ただ事実として伝えられた一連の情報は、まさしく奇跡と呼ぶのにふさわしいものだった。

『眼』の恐ろしさを知りながら絶望することなく、危険を乗り越えて自身の目の前にやって来た者がいる。囚人にとって理解者とも言えるその存在を呼び寄せたのは、他ならぬ囚人自身の行動が元だった。こんな事実を目の当たりにしたら、まあ、叫ぶのも無理はないんじゃないでしょうか。そんな経験したことないので想像でしかないが。

そうなったのもこうなったのも、結局のところは偶然の積み重ねだった。最初からこうなるのを予測して行動した者は流れ者住人にもNomaiにもHearthianにも存在しない。しかし異なる時代、異なる種族を繋ぎ、本来はあるはずのなかった結末までの道筋を繋いだのは、そこに生きた者たちの意思と好奇心であったことだけは間違いない。かつて囚人が解き放った意思が、その後の宇宙に現れた様々な者たちに反響し合い、やがて残響となっても、最後には我々のもとに確かに届いた。それを証明してDLCの物語は終わる。あとは残った用事を片付けて、最後の一歩を踏み出すだけだ。

「最後のステップに進む準備はできている?」

というあたりでDLC考察記事は以上です。お読みいただきありがとうございました。以下おまけ。


おまけの小ネタ

今年の8月、ドイツのケルンで大規模なゲーム開発者向けイベント・devcom Developer Conferenceが開催されました(詳細:ファミ通.comの紹介記事)。基調講演にはOuter WildsのシナリオライターであるKelsey Beachum氏も登壇し、ゲームのナラティブデザインについて語りました。講演はとても興味深い内容でしたが、Outer Wildsファン的には少し気になる発言も。同氏が『ゼルダの伝説』シリーズに登場するフクロウのケポラ・ゲボラのことを「大嫌い」(引用:I hate that owl so much)と表現したことについてです。

“I hate that owl so much — he stands for everything I hate,” Beachum said. “I don’t care about the map subscreen right now, I want to run around Hyrule Field and hit things with my sword.

Kelsey Beachum: Telling story solely through cutscenes is “actual madness” | GamesIndustry.biz より引用

というのも、このケポラ・ゲボラはゲームデータ上における囚人さんの名前の元ネタでもあるキャラクターなのである(参考:公式Wiki)(正確には「Kaepora」が囚人の名前。同様に、他の住人も『千と千尋の神隠し』『Bloodborne』『Hollow Knight』など夢や異界といった要素が登場する作品のキャラクターから名前が取られている(※情報源))。講演ではケポラ・ゲボラがいちいちセリフで指示を出しすぎるキャラであることがよろしくないという説明がなされており、その理由には納得できるんですが、それでもやっぱりKelsey Beachum氏の発言が意外すぎて笑ってしまったのだった(ついでにイベント登壇者リストにおける同氏の所属表記が『Super Evil Megacorp』だったのも笑ってしまった。暗黒メガコーポ??)。

あくまで名前の元ネタであって人格や設定的な意味での元ネタでないのは確かだが、しかし冷静に振り返ってみるとエンディングの囚人さんも結構おしゃべりだった気がしてきてしまいニ度笑った。もし囚人さんの最後のビジョンのように2人で旅に出ることがあったら結構うるさく色々指示を出されていたかもしれない、と想像して三度笑った。以上です。


スクリーンショット引用: Mobius Digital 『Outer Wilds』(2019)
DLC『Echoes of the Eye』(2021)

メモ:ファンサイトでの初出一覧(一部):


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