Outer Wilds:DLC考察3
この記事はDLC考察の3回目です。前回はこちら。
記事リスト:DLC考察1 / DLC考察2 / DLC考察3 / DLC考察4 / DLC考察5
注意:この記事には『Outer Wilds』本編およびDLC『Echoes of the Eye』の重大なネタバレがあります。未クリアの方の閲覧は推奨しません。
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ヴァーチャルな死後の世界
『眼』を目指した以外にもNomaiと住人の共通点がある。記憶に関する技術を持っていることだ。高度な知能を持つ種族であれば記録の保存技術を持つのは必然かもしれないが、ある人物の記憶をそのまま情報として扱うことが出来るのは文字の発明などとはレベルが違う。Nomaiは記憶の像によって個人の記憶を保存し再生する技術を持っていたが、住人は緑色の火による技術を日常的に用いていたようである。
緑色の火の技術とは記憶の分析と保存と再生を扱う技術である。これを利用した道具はいくつかあるが、一番分かりやすいのはビジョントーチだろう。人物に向けて使うとその人物の記憶(天体など物体に向けてた場合は分析結果)がスキャンされ、映像として見ることができる。その情報は杖に保存され、後で再生することも可能。仕組みは少しも分からないがとにかくすごい技術だ。
『眼』の信号を発見するのに使われた望遠鏡も機能としては同様で、分析するものが遠くにあっても使えるように調整されているのではないか。それ以外はビジョントーチと大きな違いは特にないように思われる。
そして流れ者の模擬現実も全く同じ技術の応用で作られている。一見するとそうは思えないかもしれないが、実はビジョントーチにも使われている技術をそのまま拡大して実現したのがあの仮想世界である。ビジョントーチが分析・保存する記憶はその時必要になる一部分だけだが、模擬現実は人ひとりの記憶全てを扱う。すなわち個人(の記憶)の完全な複製が、ヴァーチャルの世界に複製された故郷で生きられるように設計されたのが模擬現実の正体というわけだ。
仕組みとしてはこうなる。遺物を持った人物が緑色の火(ガスコンロの五徳みたいなやつ。ちなみにゲームファイル上では「sconce」とされる)に近付くと、緑色の火がその人物の記憶や外見情報をスキャンする。それらの情報を利用し、模擬現実は仮想の世界に遺物所持者の複製を作り出す。VRのアバター作成のようでもあるが、アバターとは違い、この複製は本人と全く同じ記憶を持つ「もうひとりの自分」的な存在になる。
遺物使用者が火のそばで眠りにつくと遺物の火が点火し、模擬現実にいる「自分」の行動をビジョンとして見せる。つまり五徳の火はビジョントーチのスキャンの光、遺物の火はビジョンを見せる光に相当する。この仕組みによって遺物の使用者は、あたかも自分が夢の世界で故郷にいるような感覚を味わうことが出来るのだ。模擬現実にいる間に現実世界で遺物や五徳の火が消えると強制的に目覚めるのはビジョンの光がなくなったからだ。同様に、遺物の実験で最初に作ったものが上手く行かなかったのは、何らかの原因で緑色の火=ビジョンの光が出なかったからと思われる。
模擬現実の最も特異な特徴は利用者の死がシステム側で想定されていることである。遺物の所持者が現実世界で死亡したとしても、模擬現実にいる人物はその現実に気付くことすらなく「生き続ける」ことが出来る。少なくとも28万1042年以上前の人物である流れ者住人が今も模擬現実にいるのはそれが理由だ。
言うまでもないが、流れ者の住人たちはゲーム開始時点では全員死亡している。死んだミイラの脳が今も活動しているとは常識的には考えられないが(※死亡によって「ログイン」した主人公も同様)、前述の仕組みを利用すれば住人の意識だけは(流れ者が滅びるまでは)いつまでも存在し続けることができる。第三者から見れば、それはまるで「機械の中の幽霊」のようなものだろう。極めて皮肉なことながら、住人たちは『眼』に頼ることなく不滅の存在となる方法を手にしたのだ。
技術がもたらした悲劇
このように流れ者住人は人をそのまま複製できるほどの高度な技術を持っているわけだが、一方で疑問も残る。人ひとりならともかく、『宇宙の眼』のような不可解な存在を、ビジョントーチ1本で分析しきれるものだろうか?
住人にとっての悲劇は『眼』の信号の発見ではなく『眼』を分析しようとしたことから始まった。スライドリールの描写を見たまま受け取るなら、住人たちはビジョントーチの分析結果を疑う素振りすら無かった。人はあまりにも受け入れ難い現実を突きつけられた時、その物事を否認して自分の心を守ろうとすることがあるが、その心理的な防衛を『眼』は貫いてしまったのだろうか。住人の中にも「(眼の正体を)信じたくない」と思う人はいたかもしれないが、いたとしてもスライドの説明では端折られている。
重要なのは、『眼』を分析したビジョンの内容を彼らは真実だと断定したことだ。前回までの記事で書いた通り、ビジョンの映像は必ずしも現実的な描写ではないことがあり、見る者はその映像の内容を自分の頭で解釈する必要がある。だが当時の住人たちは『眼』のビジョンを見て「眼は自分たちと宇宙を滅ぼすものだ」という解釈しか見出さなかった。それほどまでに彼らは自分たちの技術を信じていたのだろうか。「ビジョントーチの分析映像は絶対に正しい」という技術への過信と、別の可能性を模索しなかったことこそが、その後の悲劇的な運命の原因になったのではないか。
恒星の死や宇宙の終わりは単に寿命によるもので『眼』とは関係がない。冷淡な言い方をすれば、彼らが『眼』に怒りを感じるのは逆恨みに近い。だからといってどうしようもない理不尽な恐怖を前にして歩みを止めてしまった者を責めるのはあまりに酷ではないか。とてつもない恐れの中にあっても、それでも彼らは自分に出来る限りのことはした。その事実まで否定することは出来ない。
流れ者の悲劇性は、彼らが持つ技術力がことごとく裏目に出てしまった部分も大きい。信号を発見する技術がなかったら、宇宙を航行する手段を持っていなければ、『眼』を分析する道具がなかったら、仮想の世界を構築する能力がなかったら……言っても仕方のないことだが、これだけ報われない思いをし続けたら心が折れてしまうのも無理はない。(故郷と同じく川がある)木の炉辺あたりに移住してやり直そうとも思わなかったのは、彼らが現実や自分たちの未来そのものを悲観してしまった結果なのではないか。もはや彼らにとって宇宙のどこにも安心できる場所は無くなってしまったのだ。
一方で、ビジョントーチを使う人が別の人物であったらビジョンの映像も別の表現方法になったのでは…と想像せずにはいられない。ビジョントーチの仕様上、使用者は「自分のどの記憶を相手に見せたいか」「どんな物事を分析したいのか」を思い浮かべることで、その意図通りに分析結果を扱えるはずである(使い方を知らないはずの主人公があの人に自分の記憶を見せることが出来たのはそのおかげだろう)。
思い浮かべる内容、あるいは使用する人物が違えば、分析結果の映像もまた違う内容になる可能性がある。相手が『宇宙の眼』ならば尚更だ。『眼』は状況に応じて違う姿を見せる能力がある。Solanumは量子の月の姿を『眼』の反射(reflection)と表現していた。住人が『眼』を分析しようとした時、『眼』もまた自分を見る者の精神を反射したのかもしれない。あの冷静なSolanumですら、子供の頃は『眼』を悪意ある存在なのではないかと疑っていた時期があった。住人が無意識に持っていた未知への恐れが分析結果に影響を与えた可能性は本当に無かったのだろうか。
本題とは脱線して、ちょっとした疑問。地球人類の文明では歴史上様々な発明品が登場しては社会に多大な影響を与えていったが、流れ者におけるビジョントーチもそれに相当する影響力を持った発明だったに違いない。その気になれば相手の記憶でも何でもかも取り出せてしまうのだから、使い方次第では超高性能な嘘発見器が子供のオモチャに見えるほどのえげつない威力を発揮できるはずだ。ちょっと間違えたらディストピアまっしぐらな社会になる未来しか想像できない。そういう使い方を取り締まるルールがあってもおかしくないが。
そのような手段を持つ社会において、個人の意識はどう変化するだろうか。他人に言えない秘密を持ったとしても暴かれる危険と常に隣り合わせである。しかし生まれた時からその状況が当たり前になっているのなら、最初から「他人に言えない秘密」を内心に持たない精神状態が普通になる気もする。他者を害する危険な意思を持つ者はいなくなり、他者を思いやって生きるのがごく普通のことになる……
そういう社会を想像してしまうのは、本編と比べてDLCでは住人個人の意思や考えが明示される場面が極端に少ないからです。『眼』を目指そうと決めたのも、故郷の資源を総投入して流れ者を建造した時さえも常にトントン拍子で話が進んでいき、反対したり葛藤する住人の姿は一度も登場しなかった。あのNomaiも太陽ステーションを作るか否かでは意見が割れたというのに。もちろんこれはDLCの表現手段に制限があるから単純に省略しただけという可能性も大なのだが、それにしたって極端ではないですか。上記の疑問が合っているのかどうかはともかく、住人が個人の意思よりも集団の総意を優先する傾向があった可能性は高い気がする。
しかし、そんな社会に種族の総意に反する意思を持つ者が現れたらどうなるのだろうか。次回の記事はその話です。まだ続く。
おまけ1:図解・模擬現実の仕組み
今回の記事冒頭に書いた模擬現実の仕組み(仮説)を図解したものがあるので記事のついでに再公開します。話半分でお読み下さい。画像2枚目にはこの記事では触れなかった要素を説明しようとしている屁理屈的説明も含む。Nomaiが凄すぎるのはマジです。
おまけ2:ゲームデータで分かるあのあれの名前
記事内でも言及しましたが、DLC内で名前が言及されていない物体や場所であってもゲームデータ内では固有の名前が付いている。やや禁じ手ではあるがDLCを理解する一助になると思い、一時期まとめて調べて筆者の個人サイトでも発表しました(※現在は閉鎖)。
例えば模擬現実の『覆われた森林地帯』の音楽が流れる館は『PartyHouse』という。パーティーハウス。我々プレイヤーはパリピに追い出されていたのか。悲しい事実が明らかになったところで他の例も一部紹介。
「これって何だろう?」とプレイ中に思った道具などもゲームデータを覗くと名前が分かります(※公式の正式名称ではないのでそれだけは注意)。「WrenchStaff」は『眼』の信号を遮断する装置を作るのに使われていた杖と同じものと思われる(※念のため注:Wrench=工具のレンチ)。アイテム的なものはもちろん、データ上では場所にも名前が付いている。例えば住人が『眼』の信号をスキャンした時の部屋は「Cockpit」で、そのエリア全体は「ObservationDeck」のようにエリアごとに名前が分かれていたりする。
こういった名前のいくつかはDLCの開発中にもその通りに呼ばれていたようです。例えば模擬現実の『果てなき峡谷』の大きな建物正面エリアは「HotelLobby」という名前ですが、AGDQ2023の観戦動画(※世界的なSpeedrunイベント・DLCの航行記録埋めRTAをMobius Digitalの面々が視聴)では制作者のAlex Beachum氏が実際にあのエリアをホテルと呼んでおられた。呼び名がないと不便ですからね。
特徴的なものとして、装置系のものはなんとかトーテムと名付けられているものがいくつかあります。個人的には「ProjectionTotem」が最も名状しがたい存在だったので名前が分かって少しだけスッキリした思い出。上記画像には入れ忘れましたがスライドリールの映写機もトーテム装置の仲間で、名前は「SlideProjectorTotem」という。
スライドリールとビジョンの名前も紹介(これも一部)。筆者のサイトの考察記事でも頻繁に言及していたのに正式名がないので地味に苦心した思い出があります。ちなみに前回言及した、流れ者が超新星から離脱しようとしているスライドの名前は「SupernovaEscape」でした。そのまんま。
最後にちょっとふざけた小ネタ。流れ者の建物などに使われているパーツの中に「PizzaHut」という名前のやつがあります。ピザハット。あのピザ屋さんと同じ名前のパーツです。現物はこれ。
……確かにピザハット。実際に使われているのはダムの上のイカダのクレーン装置(下画像の○で囲んだ部分)など。さりげなさすぎて逆になんともコメントし難い。
ちなみに本家(本家?)ピザハットのハット(Hut)は小屋の意味で、帽子のHatではないそうです(詳細)。へー。最後は本当にピザハットの小ネタになってしまった。
→次の記事を読む(DLC考察4)
スクリーンショット引用: Mobius Digital 『Outer Wilds』(2019)
DLC『Echoes of the Eye』(2021)
メモ:ファンサイトでの初出一覧:
模擬現実の仕組み:DLCプレイ日記・時系列(2021年12月2日公開)
模擬現実の涙:DLCプレイ日記(2021年11月19日公開)
ビジョンの解釈:雑談考察(2021年12月14日~その他更新分)
データ上の名前:雑談考察(2021年12月17日更新分)
模擬現実図解(2022年4月22日公開)
ピザハット:DLC隠しページ(2022年4月1日公開)