『今日という日』

今晩は。Uiです。

もう少しで50RT達成です!!
ここまでみんな力を貸してくれて本当にありがとうございます。
ただもう少しなので引き続き力を貸してくれると嬉しいです。
MVの公開ができるよう、そしてMV自体も楽しみにしておいてください。

そして東京少年の配信ももう間もなくですね。
実は自分たちで配信の手配をしたのも初めての経験でして。
なかなか新鮮な体験だったし、面白かったです。
こうして届けられるということに対しても、喜びもひとしおです。

さて、今日は3月11日です。
東日本大震災から11年。
当時の僕はまだ学生でthe Sherryを始める前の出来事だったので、多分ちゃんとこの出来事について話したことはないのかなぁと。
当時は話す立場にないと思っていたし、状況も把握してなかったので発信していない部分もあったと思います。
折角の機会なので、この点について触れようと思って今日は記事を書こうと思いました。
でもnoteでは少し書いているので、重複する部分もあるかと思いますが、ご容赦ください。

2011年3月11日14時46分。
当時、僕は友達の卒業パーティーに出かけようとしていました。
玄関に向かう途中で揺れを感じて、やばいな、そう直感的に思ってテーブルの下に潜り込みました。
揺れている時はこの世の終わりかと思うほどの絶望を感じていたように思います。
その日は電気が止まって蠟燭で過ごしました。

その後、震源地が三陸沖ということを知り、岩手県陸前高田市に住む祖母に連絡しました。
幸い、近くを通った方に車に乗せていただき、無事だということで安心しました。
ただ一方で、全て流されたという話を聞き、想像が出来ず実感もありませんでした。

実は僕が生まれたのは祖母が住んでいる陸前高田市の病院で、毎年1か月は岩手に行っていました。
震災の後訪れた陸前高田市には本当に何もなく、僕の生まれた病院も鉄骨しか残っていない、無残な姿となり果てていました。
僕の知っている町の姿とはあまりにも乖離していて、ここが本当に同じ土地なのか疑うほど現実を受け入れられませんでした。
特に衝撃的だったのが、陸前高田市の海岸側に割と高いマンション(10階くらい?)があるのですが、津波が到達した階までの窓ガラスは全てぶち抜かれ、それより上の階は奇麗に残っていました。
あと、津波が到達した階までは外壁の色が少し変わっていたように思います。
津波の脅威を知ると同時に、人間の無力さを感じました。

あれから11年。
定期的に陸前高田市に行くことがあるのですが、だいぶ活気も出てきたのではないかと思います。
しかしながら、震災前と比べるとまだまだ戻り切っていません。
あの震災で障害を抱えてしまった方もたくさんいます。
僕たちが住んでいる日本という国は地震大国です。
これまでにも関東大震災、阪神・淡路大震災と大震災を経験しています。
東日本大震災からの一日でも早い復興を願うと同時に、このような経験をした先人として、後世に伝えていくことが大事だと僕は思っています。
そのためにも、今日という日にnoteを書きました。

ちょっと重苦しい内容になってしまってごめんなさい。
ただどうしても綴っておきたかったので。

次回こそは、東京少年について書けるといいな。

ではでは。

ReI/THE ORAL CIGARETTES

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