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日常を大切にすることの重要性は揺るがない

「日常」と「非日常」の境目は、いったいどこにあるのか

非日常的な体験の一例として、温泉やディズニーランドへ行く際には、境目をイメージしやすいだろう

1日の始まりと終わりに、日常から非日常へ、非日常から日常へと、スイッチが切り替わるからだ

だけれど…

もしも突然、僕らの身に非日常的な出来事がやってきたら、その境目はどうなっていくのだろう?

「ウイルスが蔓延した」「災害が発生した」

こういった非日常的な出来事は、終わりがなかなか見えないし、唐突に日常が移り変わっていく

テーマパークよろしく、こちらから非日常へ出向くのではなく、まるで、非日常が僕らの日常を侵食してきたみたいだ

前者の場合には、非日常的な体験を上手く乗りこなしながら、想像以上の驚きに心踊らせるだろう

けれど後者の場合には、非日常が日常に混ざりあっているからこそ、その激流に、流されやすくもある

ただでさえ、僕らは日常の忙しさに流されやすいのに…

非日常的な出来事が起こったことで、何か変わらざるを得ないのは、素敵なことだけれど…

激しい移り変わりの中で、日常と非日常の潮目を読むことは、決して忘れたくない

潮目とは、温度の異なる海流がぶつかる場所の境目のこと

・・・ちなみに、日常と非日常の潮目には、「世間の声」や「常識」は全く関係ないと、僕は思う

なぜなら、僕の日常とあなたの日常は、そもそも違うからだ

僕にとっての日常はあなたにとっての非日常になりうるし、その逆もしかり

例えば、僕にとっての日常は↓これだ

これだけ開けた景色は、都心では見られない

反対に、都会のきらびやかなネオンライトは、僕にとって非日常的だけれど、都心に住む人からすれば、それは日常のこと

・・・日常と非日常の境目は、周りの空気感から判断するものではなく、自ら決めるもの

潮目を読むとは…

非日常的な体験が、自分にとってどれほど日常に近づいているか?自分がどれだけ受容できているのか?を、確認するということだと思う

勘違いしてほしくないのは…

たとえ、SNS上を流れゆくタイムラインの潮目を読んでも、むしろ感情のうねりは強くなって、境目はますます見えなくなる、ということ

日常と非日常の境目は、自ら決めるものだ

だからこそ、非日常がやってきた当初の激しい体感温度と、非日常と日常が混ざりあった現在の冷め具合を感じとり、日常を温め直すことが大切だ

どんな非日常的な体験が訪れようとも、『日常を大切にすること』の重要性は、揺るがない

非日常が僕らの感情を揺さぶることで、日常と非日常の境目が粗くなってしまうからこそ、その潮目を読むことが大事なんだ

大きなうねりに飲み込まれるのではなく、うねりに順応して、非日常をしとやかに受容していかなければならない

・・・その先にはきっと、『新たな日常』が待っているはず

非日常の状況下では、そのドキドキワクワク感から、僕らの感度は研ぎ澄まされる

けれど、本当に大切なことは『日常の美しさ』に気がつくことだ

隣に居てくれる人の美しさに気がつくことだ

・・・それを忘れずに、新たな日常を歓迎しようと、僕は思う

本日は以上です

今週も読んで頂きありがとうございます!

ゆるっとシャキッといこうね(*^^*)

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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
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