気持ちよく嫌われることの心地よさ
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【軟水のたそがれ】
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毎週日曜日の夜に更新しています!
この【軟水のたそがれ】は、
僕がTwitterで毎日更新している「#軟水のつぶやき」を、深掘りするエッセイ。
新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)
・・・本日取り上げるツイートは、⇓コチラ!
・・・今回は、伝わりやすい表現を意識している #軟水のつぶやき よりも少し分かりにくい表現を使っている #硬水のつぶやき を取り上げます。
さっそく深堀りしてきましょー!
■嫌われても不快感は取り除きたい
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「嫌い」と「不快」はとてもよく似ている感情だけれど、それらを繊細に紐解いていくと、異なる感覚が見えてくるはずだ。
「不快」は、いわゆる「キモイ」で表されるような、なんだか気持ち悪かったり、一緒にいて心地よくないということから沸き起こる感情。
清潔感がない様子であったり、自分にとって聞き心地の良くない音であったり、自分の体と接するのがイヤな状態。
直接的な肌の触れ合いで不快を感じることもあれば、自分の体に触れている「空気」に対して、不快感を抱くこともある。
相手の態度であったり、言葉遣いであったり、お互いの間に流れる空気が心地よくなければ、それは不快に感じるだろう。
その「不快感」は、自らの肌で感じ取っている分、接する頻度が多くなるごとに、こびりついて取れなくなっていく。
その気持ち悪さが気持ちよさに転じるには、そうとうなインパクトと根気が必要であろう。
・・・一方で「嫌い」は、なんだかよく分からないからであったり、まだ何も知らないからこそ、沸き起こる感情。
相手の言っていることを納得できなかったり、自分には理解することができないなと感じると、嫌いになっていく。
いわゆる食わず嫌いもその一例だし、自分とは容姿も育ちも言語も違うような、見ず知らずの他人に対して起こりやすい感情だ。
ただし「嫌い」に関しては、「知る」という体験を繰り返すことで、一転して「好き」に転じる可能性もある。
子どもの頃は嫌いだった食べ物が、自分の味覚が変わったり、周りの影響によって好きになっていくように。
自分と違いすぎてよく分からなくて嫌いだった相手のことが、接触回数を増やしたり、それこそ恋人関係になることで、好きに転じていくことも大いにありうる。
・・・そんな中で、「嫌い」と「不快」は混同しやすいものだ。
その対象に対して「不快感」を感じ続けることで、徐々に「嫌い」になっていく、ということもあるから。
「嫌い」なだけならまだ良いのだが、そこに「不快」を感じる回数が重なっていくと、嫌いな感情が深まり、時には「憎しみ」に転じることさえある。
たとえ誰かから嫌われたとしても、その人との関係の中で「心地よさ」を感じる瞬間があれば、問題はない。
大切なのは「嫌われないこと」ではなく、「不快感を取り除くこと(キモがられないこと)」だ。
他人の意見や要望に流されないように、他人の目を気にせず、「嫌われることを恐れない姿勢」は、自分に軸を持って生きるために必要。
それと同時に、たとえ自分が嫌われようとも、お互いの間に『心地よさ』を築き上げる努力も、必要なのではないか。
■気持ちよく嫌われる関係
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例えば、恋人同士の別れを想像してみてほしい。
男性は未練があってまだ復縁できると思っていても、女性からしたら、それはあり得ないというシーンだ。
「嫌われてもいい」という姿勢が、付き合った当初は何だか、堂々としていてカッコよく見える。
しかしいざ付き合い出すと、男性のことを「不快に感じる瞬間」が多くなってきて、溜まりにたまって嫌いが深まり、女性から別れを切り出される。
その男性は「嫌われること」に無頓着で、それが彼女を惚れさせていた魅力でもあったのだけれど。
その状況に甘えて、彼女が自分に対して抱く不快感を取り除くことができず、「周りに流されないこと」と、「周りを不快にさせること」を混同していく。
好きな気持ちが燃え上がっている時は、恋のマジックで、何でも『心地よく感じる』もの。
そんな中で、女性が「気持ち悪い」と感じた時にそれに気づけずにいると、さすがの女性も一緒にいて心地が悪くなってくる。
男性は「嫌われること」と「不快にさせること」を混同してしまっているから、その移ろいゆく気持ちに気がつけない。
付き合っている間には、「あっ、コレは嫌いかも」と感じることもある。
「これをされたら嫌だから、やめてね」と伝えたことに対して、「俺は嫌われることを恐れない」「自分を曲げない」という姿勢で、変わろうとしない。
それは自分を守っているだけであって、大切なことは、『私たちの心地よさを守ること』であるはずだ。
相手のことを嫌いに感じる瞬間があっても仕方がないけれど、お互いの間に「気持ちよさ」や「心地よさ」を感じる空気が流れるような配慮は大切。
嫌われることの本意は、まず自分が嫌われることで「相手が何をされたらイヤなのかを知ること」にある。
たとえ嫌われる一面が露呈しても、それはほんの一部分であり、その後の関係に心地よさがあれば、『気持ちよく嫌われる関係』を続けられるのではないだろうか。
筆者が男なので男性が嫌われる状況を例にあげたが、立場が逆になることも、当然ありうる。
また女性は特に、『気持ちよく好かれよう』として、素を見せることをためらってしまったり、メイクで自分を飾りすぎたり・・・
不快感を減らすどころか、一切取り払ってしまって、「自分で自分の居心地を悪くさせてしまっている」ということもあるのかなと思います。
『私たちの心地よさ』を大切にしたいですね。
■【さいごに】心の距離を近づけるのは心地よさ
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先に恋愛関係を例に挙げたけれど、これは様々な人間関係に当てはまる。
「嫌い」と「不快」を混同しやすいという人間の性質は、例えば反日感情や反韓感情を煽るために利用されていたりするのでは?
過去に韓国と日本の間で何があったのかを全く知らない世代は、相手に対して、本来は不快を感じようがない。
相手のことを何も知らないし、接してもいないのだから、不快も何もないはずだ。
「周りが嫌っているから」という理由だったり、相手の容姿や態度がなんとなくイヤというフワッとした印象で、嫌いになっていく。
その状態の人に対して、「我らはこんなに酷いことをされたのだ」と、不快感や憎悪だけを伝えていけば、嫌いな気持ちがどんどんエスカレートしていく。
嫌いと不快をセットに感じることで、嫌いな感情がこびりついていくからだ。
・・・しかし、そんな見せかけの反日感情や反韓感情を抱いた人は、嫌いになった相手のことをどれだけ知っているのか。
過去の歴史を、どれだけ深く理解しているのか。
そういったことを深く考えない人に対して、その人たちが「何も知らない」のをいいことに、不快感だけを伝え続ければ、中身のない憎悪が深まるばかりだ。
・・・実際に相手と接してみて、それで不快感を感じて嫌いになったのなら、それは仕方のないことだと思う。
ただ、何も知らない世代に対してその不快感を「伝えないこと」も、大切だ。
何も知らない人は、これから自分の目で見て、肌で感じて、知っていくのだから。
・・・というわけで、今回は「嫌い」と「不快」という感情に向き合ってみました。
やっぱり『気持ちよさ』があった方が人間関係は円滑に回るし、自分だけ気持ちよくなるのではなく、お互いにとって気持ちのよい状態を探っていく。
周りの目を気にして、嫌われないような行動を選択する必要は全くない。
だけれども、自分の行動で誰かを不快にしてしまった時。
その関係性の深さや、今後も心を関わらせていきたいかどうか。
その心の距離感を大切に、心地よさを築き上げていきたい。
そんなことを感じました。
・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)