雨で流れた地面が固まるような心の豊かさを求めて
子どもの頃を思い返すと、僕はよく泣いていた。
片思いの恋が、実らなかった時。
テレビドラマを観て、感動した時。
自分の気持ちが、親に伝わらなかった時。
サッカーの試合を観て、応援しているチームが逆転勝利した時。
その涙の理由は、悲しみや怒り、喜びや恐れなど様々だったように思う。
きっと僕らの心が滲むのは、明るい気持ちが暗く変わったり、暗い気持ちが明るく変わったり、何らかの『移り変わり』が起こったタイミング。
自然の移ろいに喩えると、前者は「夜更け」や「通り雨」、後者は「夜明け」や「雨上がり」を想像できる。
感動が起こるには「感じていることが動くこと」が必要で、感情が身体に染み込むくらい感じきらないと、心は滲まないのかもしれない。
…子どもの頃は、こんなにまどろっこしく考えなくとも自然に泣けていた。
きっとそれは、子どもは大人より”色濃く”感じていて、大人になるにつれ『感じられるコト』が薄くなってしまうからだ。
子どもには、大人に見えないものが見えている。
例えばドラゴンクエストのストーリーにも、子どもにしか見えない妖精が出てくるエピソードがあるのが印象的。
大人になると「自分が見たいものだけを見られる自由」を手にするけれど、それに伴って、「感じたことがないことを感じられない不自由」も身に纏ってしまう。
僕は昔からサッカーが好きで、いつも決まって泣くタイミングは、劇的なゴールが決まって選手やサポーターの喜ぶ『表情』がテレビに映る時だった。
失点に対する悲しみや上手くいかないことへの怒りを感じながら勝利を信じ、喜びを感じきった時のその表情に、移ろいを感じ心が滲んだ。
それはまるで、感情の移り変わりを共に味わい『共通感覚』を得られたような、そんな体験だ。
子どもの頃は、見たくないものを見させられることもあったけれど、その分、感じられることも濃かったはず。
大人になると、見たいものだけを見られる一方、感じられることが薄くなってしまう。
だからこそ、「今まで感じたことがないコトを感じる」ために、他者と溶け合うことが重要だと思う。
感情を交えながら、「あなたはこう感じたんだね」という感覚を『共に感じる体験』がないと、涙は枯れてしまう。
これこそ『共通感覚』だ。
これが失われてしまうと、心に雨は降らず、干からびたままで、なかなか満たされず、他者へ潤いを注ぐための源泉も湧いてこないのかもしれない。
孤独も深まるだろう。
他者と深く関わらずに独りでいる方が、楽で合理的だけれど、はたしてそれは『豊か』なのだろうか?
心に雨が降ったとしても、「助けて」と言ったら助けてくれる人がいる方が、豊かだと僕は思う。
「ここで助けたら得しそうだから」とか「見過ごした方が効率的だから」といった合理性よりも、「ただただ助けたいと思ったから」という感性の方が、今は大切な時代なのではないだろうか?
だからこそ、感情を感じきり他者と共に感覚を通わして、『共通感覚』を得られる体験が重要になる。
その一例が、お祭りや音楽ライブといった文化的で非日常的な体験。
崩れ落ちた日常の気枯れ(ケガレ)を、非日常的なハレ(お祭りの混沌)を通じて、活気ある日常(ケ)に戻すことで感性が磨かれる。
この『共通感覚』は、『普通』の感覚とは違うというのがポイントだ。
「この音楽を聴いたら、普通は楽しくなるよね」という感覚を交えただけで、人と人が溶け合うことはないのだろう。
同じ音を聴きながらも、互いに別々のことを感じ、認め合い、「相手が感じていることと同じことを自分も感じてみようかな」と深入ることで、共に通い合うような感覚を得られるのだと思う。
それは、「相手の心に映ったことを自分の心にも映す」という営み。
相手が感じたことと、100%重なる同感を得ることは決してできないけれど、、、
相手を分かった気にならず、「どう感じたのか分かりきれない」からこそ、色んな色を混ぜ合えるわけで、関係性の彩りがより豊かになるのだろう。
だからこそ、”普通”という感覚で、相手を染めたり相手に染まったりするのではなく、”共通”という感覚を抱けるように、溶け合い混ざり合いたい。
その過程では、雨で視界が悪い時のように、目の前に立っている人の姿が見えにくかったり、自分の姿が幽霊のように消えてしまいそうな時だってあるだろう。
けれど通り雨が心に注いだ時にこそ、「自分が感じたことのないことを他者と共に感じようとする姿勢」が、きっと必要なんだ。
自分よりも自分のことを想ってくれている人がいる、自分のことを分かろうとしてくれる人がいるというその『共通感覚』が、絆や支えになるから。
滲んだ雨が降ったからこそ、一度水に流れ、新たな土壌が育まれてやがて地面は固まり、心は豊かになっていくのだと僕は思う。
・・・昨日は友人のライブに行って、色んな色が溶け合った光景を目にした時に、涙が止まりませんでした。
ありがとう!
そして、読んでいただきありがとうございます(*^^*)
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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするフォトエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!
社会心理学の観点から、感じたことを綴っています。
新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています!
ゆらりときらめく水鏡のように
他者の魅力を鮮やかに彩る存在でありたい