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ユルさは僕らの心を豊かにする

『ゆるゆるっと楽をして生きたいなぁ』と、僕はそう思っています。

一見すると、なんともふにゃけた生き方ですが…

この生き方は、楽して有名になりたい!とか、楽して稼ぎたい!とか、そういった生き方とは相容れないと思っております。

たしかに楽をして生きたいのだけれど、もしも目先の「楽(容易さ)」に流されてしまったら、いずれピリ辛な状況が必ずやってくる。

だからこそ、ふんばることを忘れたくないし、「楽しい!」と感じている間に、自分の能力をゴリゴリと高めるように努めております。

その時って「楽しい!」が先行しているから、努力を努力と感じなくて済むし、気がついたら自分の能力が上がっているように、自分を泳がせているんですね。

我慢して励む努力って、とても効率が悪いと思っているので。

だからこそ、気の向くまま刹那的に動く時と、規律を重んじながら己を整える時と、そのバランスが僕にとっては大事だな…と。

緊張と弛緩ですね。

弛緩(しかん)は、ゆるむこと、たるむこと。

実はとある時に、「この世の中は窮屈だなぁ」と感じて、我慢せずに楽しい!と感じることだけやってみよう!という、浮世から離れる極端な時期が僕の人生で何度かありました。

ひたすらお笑い動画やバラエティー番組を観たり、海外ドラマをフルシーズン一気に観たり、本屋さんで興味を惹かれた本を片っ端から読んでみたり…

そうやって仕事から離れた時期もあって、まぁ、それはそれはアクティブなニート期間でした。

色々と我慢してきたことへの、反動だったんですかね。

それで楽しかったことは楽しかったんですが、何というか、自由が過ぎて、目先の楽をする方へ流されてしまうことも多かったんですよね。

楽しいことをやっていて自由なはずなのに、楽なことしかしてない自分、何なん?っていう自己嫌悪もありました。

その一方で、自分のやりたい気持ちを尊重しても大丈夫だよ!っていう自己受容もありました。

そうやって、天使と悪魔をセルフシーソーしながら気づいたことは…

「自分が楽しんでやったことが、自分だけでなく誰かのためにもなる」という、他者との関係性の中に身を置かないと、すぐさま僕は楽な方へ流されてしまうのか。

ということでした。

だから、独りになろうとしちゃダメだし、何でも自分で完結させようとせず、周りを信じて頼ることや、誰かと一緒にふんばって、いずれお互いが楽になるように努めることが大事なんだな…と。

それで楽な状態がやってきたら、楽に流されてしまう前に手放して(周りに任せて)、また楽しめることを探して、それが誰かのためにもなるように動き始める。

楽をすることが手段にならないように、目的にして循環させていくことで、自由の幅を拡げていきたいなと。

自由が過ぎると、楽ができることしか見えなかったり、いざやってみたら意外と楽しくなってくることの存在に気がつけなかったり、選択肢が狭まって、不自由になってしまうので。

・・・だから僕は、心豊かに愛を持っていたい。

心が貧しいと、日常に隠れている美しさや楽しさを、見逃してしまうから。

日常の忙しなさに、流されてしまうから。

『ユルさ』は、僕らの心を豊かにするものだと、そう思っております。

・・・ゆるゆるっと楽して生きるためには、やるべきことをしっかりとやったり、規律を守ったり、まずは土台を大切に。

その先に、やわらかさだったり、穏やかさだったり、滑らかさだったり、ゆるゆるっとした心持ちが必要になってくる。

ぬくぬくとした温かな心持ちで、ゆったりとしたひと時を過ごすような、日常に『ぬったりとした時間』を持つことを、僕は大切にしたい。

そうやってぬったりと過ごすことで、心に隙間が生まれて、楽しいことが流れ込んでくるから。

その楽しさが、僕らをより高みへ導き、身の回りへ豊かな心持ちを提供して差し上げるのでは?と、そう思っております。

だからこそ、ゆるゆるっと楽をして生きたいのです。

そのユルさは、「他者を想う」という心の余裕にも繋がるはずなので…!

最後になりますが、やるべきことをしっかりやって土台を作ることの大切さを僕は知っているけれど…

この度の引っ越しで車庫証明を出し忘れていたり、役所関係の書類に不備があったり、入居して2週間ほどカーテンがなかったり…汗

#カーテンのない部屋は灼熱
#そりゃそうじゃ

規律を引き締めていこうと思うので、見守って頂けると幸いです。

・・・それでは、読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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唐澤俊和
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