学校で学んだ学び方を、いったん忘れてみる。#303
いつどこで学んだのかは本人もわからないけれど、周りとの交流全体から自然に何かが学ばれていく。このような学びを私は「オーガニック・ラーニング」と呼んでいます。 一方、学校での学びは、どうでしょうか。科目ごとに教科書があり、学ぶべきことが決まっていて、時間割に従って、教室で専門の先生が教えてくれますよね。
と、「ブッダが教える愉快な生き方」の中で、自然な交流から学んでいく方法と、与えられた環境下のなかで、自然に学んでいくことが描かれていました。
考えてみれば、社会人になって一番はじめに気づくのは「学校で学んだ学び方が、役に立たない。」ということだったりしました。
仕事のなかでは、学校のようにだれかが正解を教えてくれないし、正解がひとつ用意されているわけでもない。
その時々に目の前で起こる出来事をつぶさに見つめて、とうするか、その場その場で考えて、とりあえず動いてみる。
そんなことを繰り返して臨機応変にしのいでいるうちに、ちゃんと答えが準備されていて、そのたったひとつの答えを探すことなんで現実にはありえないと知る。
そこからやっと、自分から現場現場で学んでいくように、学校で学んだことを忘れるように、強引に自分のスイッチを切り替えていきました。
でも「その場その場で現実に対処する。」という学びを繰り返すことを続けているうちに「もっと時間をかけて、ひとつの学びを深めたい」と思うようにもなりました。
「現場現場で学ぶことがフローとしての学び」なら「ひとつの物事を集中的に学んで、ストックを持つ」といったような。
そう思って、最近プログラムの勉強をはじめてみたのかもしれません。たったひつの小さなことでもいいから、周りから影響されない、ひとつのことに深くどっぷり浸かってストックするような。
そうやって、ストックとフローの学びがひとつになれば、もう一段くらい階段を登れたりするのかな。
読んでくれたかた、ありがとうございます。臨機応変で対応できるのも嬉しいけれど、押し黙って、もんもんと考えて、そんな先にもんもんと出てくる答えも大事にできたなら。