大人はどっしり構えましょ
写真は、我が家のライラックです。今、ちょうど見頃を迎えています。白いライラックの花言葉は「無邪気」「青春の喜び」だそう。
無邪気という意味があることを知ったからなのか、青空に向かって元気に咲き誇る真っ白な花と、先日、ある農業体験施設を訪れたときに出会った小学生たちの姿が重なりますーー
農業体験施設の広い敷地内を散策していると、向こうの方から小学生の一団が。先生に引率されて歩いてくる彼らとすれ違おうとしたそのとき、男の子2人が「こんにちは!」と元気にあいさつしてくれました。
「こんにちは!」と返すと、そこからはもう「こんにちは!」の連鎖です。手まで振ってくれる子もいて、こちらも思いっきり振り返して。コロナじゃなかったら、ハイタッチでもしてるんじゃない?というような盛り上がり。
屋外とはいえ、こんなご時世にこんなあいさつができるとは思ってもみませんでした。
青空の下は気持ちがいいし、大きな声であいさつを交わすのも気持ちがいい。それで不思議な一体感が生まれたのでしょうかね。
なんだか涙が出そうになりました。
子どもたち、みんなキラキラしてて。そして、かわいい声がまたね。子どもの声って、一瞬であたり一帯の空気を変えるパワーがあるじゃないですか。花が咲いたようにパーッと明るくなる。
なんともいえない幸せな気持ちになりました。同時に、切なくもなって。子どもたち、みんなマスクをしているわけです。大人がしているのとはやっぱりわけが違って、どうしてもかわいそうという気持ちになってしまう。
本人たちにとっては、きっともう当たり前になっているんでしょう(この問題はちょっと横に置いておきます)。かわいそうという言い方も失礼だと思うのですが、元気いっぱいの姿とマスクというのが相反しすぎて、こたえるんですよね…。
ここにきて、政府がマスクの着用に関する基準を示しましたが、違和感を覚えます。そもそも、マスクの着用は法律で義務化されているわけではないからなのかもしれません。なので、基準っていうのがちょっと 。
もう、マスクがどうのこうの、ワクチンがどうのこうのという個別の話ではなく、コロナ騒動自体をやめるという話にならないものでしょうかね。
それをもっと早い段階でやれていれば、ワクチンに関する考え方なども今とは少し違ったものになっていたんじゃないかなとも思ってしまって。たらればの話ですし、まあ、やめる気なんか全然なさそうですから・・・
そんな中、他国では、また新たにサルなんちゃらが発生しているようで、これからどうなっていくのか分かりませんが、同じことを繰り返すのだけはダメだと思うんです。コロナでこれだけ学べたわけですから。
コロナ騒動を振り返ると、国が悪い、報道機関が悪い、あの人もこの人も悪いと次々に気分が悪くなる顔が思い浮かんできますが、この空気を国民自らが作り上げたことも自覚しなければと思うんですね。
これからは、何が起きても、一斉に同じ方向に動くのではなく、まずはどっしりと構えて様子見しませんか。大人がどっしり構えていなければ、また子どもたちを苦しめてしまうことにもなると思うのです。