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歴史という娯楽を森鴎外『渋江抽斎』より学ぶ

Twitterを見ていたら『歴史小説を学びたいから小説家になろうの自薦をしてほしい』と言う地獄のようなツイートがまわってきた。

まず歴史教科書を熟読することから始めて欲しい。

 妄想をするならどこを妄想にするのかを決める際、正史はどうなっているのか、教科書は最低限、ある程度のまとまりを示してくれる。

 この際多少の誇張を配慮しても受験用に編まれた学習漫画でもいい。

いや、そもそも歴史なんてクソつまんねーけど流行っているみたいだから歴史小説書きたい俺に興味を抱かせる作品寄越せってことなら理解できるが

 漫画だと『ベルサイユのばら』とか、『チューザレ 破壊の創造者』、ファンタジー小説だけど『黄金拍車』シリーズとか漫画に戻ると横山光輝の『三国志』など『これを読んで歴史が好きになりました!』な作品は色々あるね。それだって小説家になろうの自薦を歴史小説を学ぶために読むのはソシャゲのガチャより効率が悪い。

Truth is stranger than fiction.

 世の中の実際の出来事は、虚構である小説よりもかえって不思議である。 英国の詩人バイロンの言葉らしい。もっとも注釈がつく。バイロンは「語られることがあれば」(if it could be told)と条件を加えているらしい。

 変な小説家になろう作品を読むより、『大本営参謀の情報戦記: 情報なき国家の悲劇』『ルワンダ中央銀行総裁日記』『チベット旅行記』のような自分語りの胡散臭い(?!)自伝を見た方がまだハズレがない(※後々の研究でチベット旅行記の河口慧海氏の足取りは立証された)。なお、第二次世界大戦を描いた自伝は本人が語っていても相当差し引いて考えないといけない。『大空のサムライ』とかはすごく面白いが、『神龍特別攻撃隊 潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記』とか『空母零戦隊』の方がまだ資料的価値は高いと思われる。それでも嘘と真実とホラとを交えて面白おかしく今を生きる人へ語るのは小説であり、歴史ではないことを再確認していただきたい。

おまえは何か書いたのかと言われたら

 例えば鴉野は幕末から明治維新の時代がスチームパンクだったらという妄想を『蒸気的地獄道』という短編にまとめたが、本編では正史でも架空の世界でも変わらない変えられない古き良きものの終わりとそれに殉じるしか生きる方法がなかった人々を描いている。

フォローしている作品が好きなのでそのテンプレを書くのがなろうファンタジーだが歴史のテンプレとは史実である。

 まあ、歴史人物を全て女体化して萌えに徹したり、サッカー知らない作者に書かせてスカイラブハリケーンさせるノリをやるなら歴史知らずとも良いだろうが、それは歴史小説と読んでいいか甚だ疑問である。

 変えようがない事実に本来『もし』はない。この精神については『一気に学び直す日本史』を見てほしい。まあこの本も色々古かったり唯物史観に染まっていたりするのだが。

 文章を読むのが苦手なあなたのためにありがたいことにオーディオブックになっている。執筆しながらラジオ感覚で何度も聴いてほしい。

 筆者個人の見解としては歴史というのは地層のように関連事項や地理などの横と時系列という縦が混ざり合っていく面白いものだが、この辺は『哲学と宗教全史』を読んでほしい。これもオーディオブックになっている。ありがたいことだ。この手の大書はまともに読むと挫折する。長いって?

 だから学校の歴史教科書を読み物として『楽しんで読め』と先に言った。

 あれが一番簡単で短く面白く書いてある。

 少なくとも君が知りたい史実は数行で解説してくれる。導入として前後の流れとして一番優秀だ。伊達に教科書を名乗るわけではない。


 大概妄想小説や漫画、妄想歴史を参考に妄想のフォローを妄想ですると目も当てられない惨事になる。そう考えるとなろうテンプレは良くできているな。落語みたいた。
 近日、押しつけ的に出版社から持ち込まれた百田尚樹先生の日本国記を歴史改ざんファンタジーとしてPOPを書いた書店員がいた。

 ちゃんと売れているのでいい仕事である。

転じて間違えてもなろう小説を見て歴史小説を書くのはやめてほしい。

 いや、小説として面白いならそれでもいいのだが大概事故る。

 史実に対する最新の研究も日々進歩する。

 日本すごいな人には美談となっているユダヤ人を助けた杉原千畝の『命のビザ』もいまはナチスではなくソビエトから逃げるためという見解が出ているらしい。時期的におかしいそうだ。

龍馬がゆくや坂の上の雲などを見て史実と思い込む人がいるらしい

 これも一気に学び直す日本史の巻末スペシャル対談にて述べられているが小説は所詮小説である。

 つまり歴史を語っているわけでないことに留意しなくてはならない。

司馬史観について発表当時の大人の反応は『小説だからねー』と寛容だったらしい。

 そもそも当時の人々にとって歴史の証人たちの記述が古本屋にあり、当時の風聞を祖父母などから見聞きした者たちがまだ生きていた時代だ。多少適当なことを言ってもギャグで済んだ。

小説と事実をごっちゃ混ぜにするということ

 20年ほど前、当時生まれたばかりの愛子親王と韓国人男性との恋愛を書いた小説が書かれた。その五年後くらいに両国のインターネット掲示板内にてその小説を根拠に歴史問題を語る人がいるという地獄のような事態が起きていた。

 それと同じことが今の日本でもおきている。

小説は小説で面白い。しかし歴史的事実ではない。間違っても面白いから史実であるとしてはいけない。

 個人的には「ミスター味っ子幕末編」が好きだ。自らの夢のためなら祖国がどうなっても知ったこっちゃない憎めないが油断できない政商坂本龍馬が描かれている。

最近のD&D®︎やファンタジー、果ては歴史的事実がポリコレ配慮に傾いている。

ファンタジーとは差別も偏見も暴力も異教もある世界を現代から見ることで現代の良さを再認識できるもので、ファンタジー世界をポリコレ準拠にするものではない。

真っ白な世界には真っ黒は存在しない。それでは何も学べないではないか。ヘビースモーカーしかいない昭和初期を描いた作品なのにみんな禁煙しているNHK朝の連続ドラマのようなものだ。それでは今と比較できまい。それは時代劇であって歴史小説とは言えまい。

筆者のおすすめ。簡単なものから。

『砂糖の世界史』『炭素文明論』(中学生まで)

前者は砂糖を通しての世界史、後者は炭素の運び手としての人類史を描いた作品だ。文章量も少なく人を主観から外すことに成功している。

『図説火と人間の歴史 (シリーズ人と自然と地球)』『銃・病原菌・鉄』『サピエンス全史』(高校生くらい)


 人類史自体が火や稲や麦の運び手にすぎない。文明の支配関係は個人の知能ではない。主体は人ではない世界史の本である。サピエンス全史は漫画にもなっているようだ。

『暴力と不平等の人類史』(※ここらへんになると難しいし大学生以上向け。歴史的事情により平等をある程度達成させた日本に大きく比重が置かれている。戦後日本において起きたレッドパージや年長者の公職追放で若手が経営に参加せざるを得なくなった背景を小説で読みたい方は『三等重役』シリーズを読むといい)


 自分に都合が良くない世界史を知ったら、史実なのに小説より面白い歴史本を読むといい。

『古代中国の24時間』、『傭兵の二千年史』『大阪堂島米市場 江戸幕府VS市場経済』など新書には短く専門家の知見をまとめた良書が多い。


 しかしながら新書を読んで理解出来た気になって作者が教科書として忖度(そんたく)なく記述した『近世米市場の形成と展開―幕府司法と堂島米会所の発展』などを読んで爆死するのは筆者だけでいい。

 この記事を読む人はそこまでの専門知識を必要とせず、娯楽作品を書きたいだけなのだから。

 あと、当たり前だけどこれらの作品のほとんどは図書館やAmazon Audibleなどで無料で読めたりオーディオブックとして視聴できます。

では、渋江抽斎を描いた森鴎外は如何なる手法で歴史を描いたのか。

 そもそも渋江抽斎は市井の人だ。歴史的人物ではない。作品としては面白いが歴史資料になり得ない歌舞伎の題材にはなっていない以上、現代人のように『漫画が面白いから調べた』わけではない。

では何故森鴎外は彼に注目したのか。

 鴎外こと林太郎は武鑑という当時の記録、一時資料をみて彼を知っている。

 また、当時の記録や異名罷り通る当時の慣習を考えてから『ひょっとしてこの人ら同じ人ではないかな?』という仮説を立てて、その仮説が合っているかのこじつけではなく、外れてもいいので調べるというスタイルで挑む。

例えば墓跡に手を加える人はあまりいない。

 まあ、楠木正成公の墓所だって後に光圀公が整備し直したけど(※筆者最寄り、湊川神社に楠木正成公の墓所があります)この時代ならまだまだ江戸時代の息吹残る時代だ。一医師の墓を改変したりはしないだろう。

林太郎さんの科学的アプローチ

 森鴎外こと森林太郎は墓跡などの史跡、当時の公式記録を1として収集している。一次資料をまず調べる。素晴らしい科学的アプローチだ。

 鴎外先生こと林太郎はクソ忙しい軍医の仕事などの合間を縫い、軍医としてのコネ、作家森鴎外としての知名度を駆使して自らの知的好奇心を満たすべく読者を巻き込んだパワープレイを開始する。

 忙しいなら人に頼る。しかしそれは嘘と虚勢、先生のためと称するホラや虚勢との戦いになる。

 すなわち、彼は墓所を巡り、当時の資料を漁り、(※まだ当時を偲ばせる日記などが古本屋にあったかもしれない時代だ)読者からの情報を広く求め、(※広く求めれば関連書籍も見つかる。サラッと林太郎大好きなひとが褒められたくて作る偽物も混じるかもだが)、作家森鴎外としての名声と軍医森林太郎としてのコネと信用をフル活用するのだ。

 林太郎が取った調査報道は今の目線で見ても科学的で無駄がなく、

当時の公式記録や史跡を第1.
子孫の伝え聞きを第2.
読者からの情報を第3.

 として信用度とそれに反する娯楽性を分類し、自らが忙しい中めっちゃ楽しんで調べて同志に巻き込んだ読者と『おもしれー』をやっていて、今までの小説のファンからすら『先生よくわからない』をブッパしている。

 ……良くこの企画通ったな。

『渋江抽斎』をまとめると

 森鴎外として、軍医森林太郎としてドチャクソ忙しいなか、絶対暇潰しではないレベルで、市井の一人にスポットを当て、感性的思いつきを実証することなくまちがっていてもいいやとばかりに一次資料をあたり、知名度を駆使して二次資料を求め、作家としての名声で本来聞けない話を聞き取り、ファンの方のタレコミをもとに突撃し、家族の反応を楽しむ視聴者参加型歴史娯楽であり、ある種の歴史中年探偵団的なコミュニティと言って良い。

つまり小説としては面白くないけど筆者自らの無茶ぶりとそれを見たい読者、巻き込まれる家族との愛を描く読者参加型エンタメ企画としての歴史調査を完成させた。

鴎外先生なら話してもいっか

 いきなり森鴎外が来訪したらそりゃビビる。彼はちゃんと手紙や軍医のツテで筋を通してくるのでなおさら好感度が高い。

脚気騒動や舞姫騒動のクズっぷりが嘘のようだ

 まあ、この頃の林太郎さん、歳とって家族持ってまともになってきているし。地味に家族愛を思わせる記述もあり、子煩悩だった彼の人柄が出ている。

こうして名も知られていなかったひとりの医者は鴎外というオタクによって、歴史中年探偵団として、エッセイとして、家族愛ものとして、怪作に昇華された『渋江抽斎』という作品により白日に晒されてしまうのである。

いいんかそれ。

 ま、まあ、遺族の許可は得ているし……。

 ちなみに『安倍一族』は舐められたら殺すな当時のダイナミックさが出ていて作品としてはこちらの方が面白いし、短編なので読みやすい。鴎外先生の歴史ものを見るならこちらの方がおすすめである。

なんせ筆者鴉野も『渋江抽斎』を完読できていないのたから。

 読みかけの本を途中まで紹介して、あとから付け足すスタイルで筆者は本を読むのである。

 いいんかそれ。ええんや。(※Audible対象になり、無事完走しました)

明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いします。

 読者のみなさま。そして筆者が『渋江抽斎』を今年こそ読み切れるかは待て更新。

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鴉野 兄貴
自称元貸自転車屋 武術小説女装と多芸にして無能な放送大学生