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82億人の中の、様々な距離感の味方を増やすゲームとしての、人生

世界人口82億人から考えれば、本当に多くの人々は私を知らないし、関心も無いです。縁もゆかりもない外国はもちろん、十二神将像が好きで奈良の夏に何日も宿泊した微かな縁があっても、10万人単位で「トラガラ!」と呼ばれてはいないわけです。

人生は、敵を増やさずに、味方を増やしていくゲーム。さまざまな距離で知っていて下さる方々を大事にする。逆に敵対する人に意識を向けると、大きな機会損失です。世界人口単位で敵はいないので。

『あの金で何が買えたか』(村上 龍)のタイトルを借りると、「あの労力で何人理解できたか」という事態に陥ります。

なら、どう味方を作りましょう? 理解しようとしますよね。例えば、

私の個人的な困難なら——

  • 父親の悲しい出来事

  • 仲の良い年下のきょうだいの看護と喪失

  • 自分自身が心を壊したこと

  • 中学2年生3年生と40代の担任にに目をつけられて、悪意をぶつけられ続けたこと

などなど、私的な困難を、他人の痛みや悲しみを理解しようとすること以外に使う事はやめようと自分を戒めています。昇華しろと、自分と約束しています。

何故かと言うと、人権も不条理も普遍的だからです。困難や気になることの内容と程度が違うだけ。かつ、大体みんな忙しい。比較的時間に余裕がある人であっても、今のところ不老不死の人は存在しないから、限りある時間、貴重な時間であることは普遍的。

抽象化すると、自己成長や自己研鑽、そして他人への寛容さや、完璧に理解する事は無理だけれども、それでも誰かを理解しようと努める姿勢。これら以外に、困難を生き延びたことを使ってしまうと、良い事は何もない。

建設的になれない日は、心の早さに合わせてゆっくり歩いたり立ち止まることを勧めます。飛行機や新幹線では目に入らない、歩いたり立ち止まったからこそ、目に入る日常の美が必ずあるから。そして、それは印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが扱った、ささやかで日常的なことを通して普遍に至る美です。

飛行機で進むことも素晴らしいし、立ち止まる日があることもまた素晴らしい。

印象派の作品に惹かれることは、作品の美しさだけでなく、我々が共有できる普遍的な美と価値観を扱うからでしょう。

この意味で、ピエール=オーギュスト・ルノワールは死後も味方を増やし続けています。我々の大切なお手本の一人。


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