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マリナ油森国訪問記②

noteの街を気ままに歩くことは楽しい。広場もある、お祭りもある。そして、楽しい話を聴かせてくれる、ネズミのぬいぐるみもいる。もし、"ネズミさん"に出会えたら、足を止め、お話を聴いてみることをオススメする。ネズミさんは、私の訪問先である、「国であり沼であり街でもあるどこか」の主、マリナ油森さんその人だから。

ネズミさんが、あまり深刻にならないように話し方や声の調子を意識して、夫婦げんかのことを話されている。
ふむふむ。
ネズミさんは「嫌な気持ち・悲しい気持ち・誰かを責めたい気持ち」を伝えようとはされないから、安心して聴くことが出来る。どこで話が噛み合わないのかと、衝突して何を得たのかを語られたと、私は受け止めた。
寝不足と疲れの極限状態でも、ネズミさんの「ズレに気づく」力は高いままで、聴いていて嬉しくなった。

noteの街には様々なパフォーマー(クリエイター)が集まっている。彼らがnoteを通して何かを生み出す時、どんな心象風景を抱くのだろう。ネズミさんは、購読しているnoterさんの記事をきっかけに、「私はこうだよ」と語り始めた。
荒ぶっている? なにそれ詳しくである。
比喩や見立てのセンスが素敵なネズミさんは、映画と関わった経験を伝えつつ、「私はこんな感じだよ」とイメージをぽんと手渡してくれた。他の方はどうかな、私は例えるなら何かなと、問いを受け取った。

noteの街には素敵な美術館もある。

noterさん達は、本名の方であれnoteネームの方であれ、その名前で活動するには理由がある。ネズミさんは、そんな美術館のほど近くで、名前の由来について話されている。

文章を誰でもアクセスできる場所に公開することは、楽しいことや出会いもあるけれど、リスクもある。
ネズミさんの場合は、パフォーマンスアートの大御所、マリーナ・アブラモヴィッチの代表作『Rhythm 0(リズムゼロ)』(1974年発表)を例に出し、この方に背中を押されたよ、名前の由来だよと教えてくれた。noteの街から、TEDの街へ入り口も用意されている。興味のある方は、記事を訪れてみると発見や出会いがあるかもしれない。


「旅する日本語」タグに参加されたお話は、ネズミさんが何をどう切り取るかを、他の作品よりも意識して味わいやすい。

・出来事よりも、出来事を聴いた心の動きを、ネズミさんのお子さんへのお手紙のように描かいた作品
・「月80時間残業が続く私たち」の弾丸旅行の思い出を通し、台風前の空気感と、彼らの躍動感をギュッとつめ、さりげなく飛騨牛バーガーで飯テロもする作品
・ヒマラヤトレッキングルートにある簡易宿で体験した夜明けの風景を、視覚だけでなく寒さや温かさも含めて描いた作品(ここでも比喩と見立てのセンスが輝いている)
・ゲレンデの会話と、ある人の人生の岐路の作品

noteの街は、真面目な話も、もちろんできる。ネズミさんが選んだのは、「シモの話」。何が問題で、どう変わって欲しいのか。その理由はなぜか。
私はたぶん価値観が近いので、「ですよね」と頷いて聴いている。色んな価値観の人がいるけれど、こんな風に相手に配慮して意見のみを伝えられたら、何かが変わるかもしれない。

エッセイカテゴリでは、子育ての話は、きっと大きな柱だと思う。そんな舞台で、ネズミさんは「我が家はこうだよ」と述べられている。
もしかしたら、前回の「シモの話」でネズミさんのスタンスを語られたのは、このお話の準備でもあったのかもしれない。そうではないかもしれない。

月経と男の子達への性教育に関するお話だ。なぜそうしたのか理由も添えられている。
どんな個性の男の子2人なのか、よくよく理解されているネズミさんの話だから、何も不安なく読めたし、結びの言葉に本当にそうだなと共感できた。

長男さんが2歳半の時の思い出。ネズミさん達が、子育ての価値観の違う人から「拒絶」をぶつけられた出来事のお話。

周囲に配慮して、小さな子の探究心や好奇心を壊さないようにしてあげたい。そう望むと、どんな摩擦が生じてしまうのか。

子育てのやり方や優先順位が異なるのは、そのお家ごとの考えがあることだけど、このお話で描かれた「拒絶」はその人の「正しさ」をぶつけたことかもしれないと、私には思われた。

ネズミさんは何を大事にしていて、何を優先しているのかが、はっきりしているから、安心して読むことが出来た。

ネズミさんは、夫婦げんかにしろ、子育てで感じた摩擦にしろ、怒らないで考えを述べることが出来る。
1995年、香港。子どもだったネズミさんの目を通し、当時の香港メディアの過激な表現や選挙の様子を聴かせて貰えた。

時間が流れ、新婚旅行3日目でデンマークの公共放送インタビューを受けた話を例に、「小難しい話」に関して、怒らないで考えだけ話せたらいいねと提案なさっている。

本当にそう思う。「訪問」している立場からすると、ネズミさんのコンテンツの居心地がいいのは、「感情」の取り扱いのさじ加減が絶妙だからかもしれない。
感情が無いのでも、出さないのでもなく、分かったり察した上で、伝え方を選ぶこと、大切。

note街の一角にはnoteについて情報交換・意見交換がなされるカフェがある。TEDの舞台にも使えそうな作りだ。

ネズミさんはnote暮らしで、意識されていることを語られている。
具体的には、エッセイを書く上で、ある例外をのぞけば、練り上げることをそんなに重視していないこと。
そして、下のお子さんが幼稚園に入る頃には、どうなっていたいかという夢。

また別の日、同じカフェで。ネズミさんが、資料を元に仮説を話されている。数字を分析するだけでなく、ストイックで謙虚な誰かと、その人の考えに触れたい誰かがハッピーになるような、誰かを元気づける仮説だ。

ネズミさんから見た「イイ男」とは何か、というお話。ふむふむ。コメント欄も賑わっている。

・ネズミさんを変に女性扱いしない(「変に」がポイント)
・想像力があって気配りが出来る(出力するにはコミュニケーション能力も大切)
 ⇒コミュニケーション能力が高い
・精神的・経済的に自立している

ネズミさんが見せてくれた情景は、確かに「イイ男」だし、自分の友人なら「イイヤツ」と呼ぶでしょう。
もしかすると、彼らに共通する要素って、「大人って何だ?」でもあるかもしれないと、気づかされることだった。

コーヒーがお好きなネズミさん、鼻先にススをつけて、自家焙煎をどんな風に楽しまれているかを話されています。「失敗は成功の母である」。
何が起きたのだろう? 美味しいコーヒーになったのだろうか。焙煎から関わるからこその、楽しさが伝わってくる。

「2019/07/17 06:10」のつぶやき。どうやらネズミチャンに戻すことになり、私は「ネズミさん」とお呼びすることができるのだなあ。

比喩や見立ての上手い、ネズミさんにはTwitterやnoteがどう見えるのか。イギリス英語・アメリカ英語の例を伺うのが楽しい。とくに、アメリカ英語に関するアメリカの方の発言は、笑ってしまった。
そして、Twitterの海へ飛び込んでいかれるネズミさんを見送るのである。

子育ての方針は、お家によって違う。
転んで自分で立つように、気持ちの整理をどうつけるか。正解を教えるのではなく、長男さんが自分で気づけるように、練習できるように、見守るネズミさん達のお話。

長男さんは自分で出来たし、見守っていた大人達もバス停仲間の子達も、待ってあげられた。みんな、頑張った!

訪問先一覧

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夫の話 ―専業主婦は対等じゃない事件
note執筆は映画製作のごとし
マリーナ・アブラモヴィッチに押されて私は飛びおりた
一番果を食べたキミへ
台風からの逃走
これからの「シモ」の話をしよう。
我が家のささやかな性教育
「子どもの探究心」vs「ダメな親と思われたくない気持ち」
香港人の抵抗 in 1995
私のnote戦略
神々の山、ヒマラヤの夜明け
世のなか、イイ男だらけだと思うんだけどな
何者でもない人が書くnote論
油森家の珈琲ライフ【焙煎編:失敗】
(つぶやき)「連続投稿30日を超えたので、アイコンを変えてみたけれど慣れない。……」
春の陽射しをまとう男
Twitterはアメリカ英語かも
はじめての仲違い
どんな意見でも怒らないで聞いてほしいんだ 「マグロは……」

編集後記

「どこで噛み合ってないか」に気づく力は、夫婦げんかでも、育児でも、あるいは育児の考え方の違う相手に拒絶された時も、力を発揮する、マリナ油森さんの大事な武器です。

また、大事な問題やデリケートな問題だからこそ、感情の出力をコントロールして、考えを述べることも、読み易さ・伝わり易さに繋がるかもしれませんね。

では、名残惜しいですけど、4000文字になる前に、この記事が巻物みたいに長くなる前に、今日はここで「帰国」しまーす。

出国手続きの前に、お弁当コーナーを探してみましたが、飛騨牛バーガーは完売でした。飯テロである。

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