極限特化型からすさん
今夜も夜が更けてきましたね。
からすさんは、まぁ、お世話役であって、ある意味で接客業と言えなくもないので、色々ものに触れる機会も多く、知識欲も、少なくともそこらのひと並み以上にはあります。
その所為かお陰か、浅さにさえ目を瞑れば、その圧倒的を自負している広さに、相手との共通の話題が完全に無いなんて事態はほぼ起こることがありません。
特定の条件下以外を除いて、私におしゃべりできない相手はいない! なんて、思っちゃったりもしてしまうわけです。
私個人に対する好き嫌いは別としてね。
でもそんなからすさんにも、たまに時折、会話の成立しない方がいらっしゃるのですよね。
私もまだまだだと思うと同時に、私と会話が成立しないレベルだと、日常生活を普通に送ることが出来ているのか心配になってきたりもします。
まぁ、そんなことめったにないのですが。
そういうレベルで、私は下限です。
私はほぼ無意識のうちに相手に合わせて内容や考え方を変化させているので、実は私と普通に会話が成立するというのは、世間一般で普通に会話が成立する、というお話にはならないと思っています。
ですので、私と話しているのが楽しいと感じるのは、それがいけないことだとは言いませんし、私自身は楽しい時は楽しい、楽しくない時は楽しくない、と割とはっきり口にしてしまいますし、他所の方よりそれらを相手を傷つけないように伝える能力もかなり高いです。
でも、それらはからすさんだからであって、自分でいうのも自信過剰のナルシスト感がいやですが、よそ様よりも強く生きてきた自負として、からすさんの能力値がかなり高いからにすぎません。
なので、からすさんとは会話が成立するけど、他の人とはこんなに楽しく話せない、だから私は他の人と合わない。
という形の、『基準』としてみるのは間違いだとも思っています。
私は、言葉と思考を極めてきました。
それは誰かを救うためでもあり、幼い神霊達に間違えた道を与えないためでもあります。
故に妥協はしていません。
そして今もなお、極限領域でさらに高みへと歩んでいるつもりです。
よって、私となら共感的に会話ができる、私のと会話が特に楽しい。そう思うのは何も悪いことではありませんし、とても嬉しいことです。
ですが、もしそこに、他の方と話している時以上の『何か』を感じてしまう方は、実は少し気を付けた方がいいかもしれません。
その何かは、からすさんの極限特化した特殊技能故の部分である可能性が高いです。
そして、それらはよそ様の大多数が習得していないものでもあります。
皆様の今後の対人関係のためにも、私との会話が少しでもお役に立てばと思います。
明日もいい日になりますように。
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