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『勉強』と『学習』
今夜も夜が更けてきましたね。
皆様、勉強って、好きですか?
私は、にべもなく嫌いとは言いませんが、どちらかと問われたら、好きとは言い難い。
そんな感じです。
でもこれって、実は言葉の妙で、当たり前の話なんですよね。
『勉強』って、勉学を強いる、って書くでしょう?
強いられるものだから勉強なのであって、そんなのは嫌いで当然なのですよね。
勉強が好きだよ、という方も稀にいらっしゃいますが、それは学ぶこと、つまりは学習が好きなのであって、言葉としては『勉強が好き』というわけではないのですよね。
日本ではほとんどの方が義務教育を受けていて、その組織の中では学習行為のことを全てひとくくりに『勉強』と呼んでいたから、学ぶ行為全ての総称が『勉強』になってしまっているのですよね。
なので、この言葉にはプラス要素の学ぶ学習とマイナス要素の強いられる勉強のの二つが混じってしまっているわけですね。
そこに含まれる総量を比較した時、今まで経験してきた行為の天秤が学ぶに傾いている方は、勉強が好きと言えますし、勉強に傾いた方は、勉強が嫌いだとなるわけです。
ではなぜ、正負二つの要素が含まれているのに、勉強が嫌いだという方が圧倒的に多いのか。
それは勉強が周りの多数の相手から言われるのに対して、学習が自分一人から実行するしかないからだと思います。
これやってみない?
と、言われたその瞬間、それは勉強です。
そこから、これってどうなんだろう?
と、自分で思って初めて、学習です。
あるいは自分から、これ気になるな、そう思って初めて学習です。
学習は全てが自分から。
なので、その総量が圧倒的に少ないのですよね。
特に幼いころ、視野の狭いころならなおの事、自分から学びに行ける子がいたのであればそれは最早才能です。
大抵は親や、その他周りの相手から強いられることから始まるでしょう?
つまるところ、マイナス始まりなのですよ。
一つ自発的に学んで、それでようやくゼロです。
経験として、ゼロならまだマシです。
大抵はマイナスのまま、積み重ねられてしまうのです。
そうして、ひとくくりにされた勉強が嫌いになってしまうと、そこから先、あるいはそこに含まれた学習まで、諸共やらなくなってしまうわけですね。
強いられる学びはつらいものです。
楽しい学習をしてみませんか?
明日もいい日になりますように。