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2023_バレンタイン
▼バレンタイン短編
『主人公は勝手に想像して』
●〇●〇
6.5畳一間に風呂トイレ共同のワンルーム。最寄り駅まで徒歩二十分少し。
街灯がないのにはもう慣れた。自転車に轢かれかけるのにももう慣れた。
窓を開けても隣は壁だし、掃除しててもゴキは出る。
7.5万/月の一階角部屋。
そりゃあ、ここから比べたらどこだって田舎扱いになってしまうかもしれないが、はっきり口に出して田舎というほど田舎でもなかったような実家から、就職を機にこの東京という魔境に住み始めて早いものでもう一年。
まぁ、住めば都とはよく言ったもので、別にストレスが溜まるほどの不満は無い。
何かとどうにかなるものだ。
ただ、せめて風呂トイレは別にしてくれと過去の自分を恨むが、それで現実が変わるわけでもなく、諦めを以って愛しのマイルームとのお付き合い。
ぽん、と入った明日の休日に向けて、引き籠るための食料とジュース。
どうせ昼まで寝てゲームしてたら一日が終わる。
自炊なんてする元気もないし、ついでに言えば能力もない。
おかえりのない真っ暗な部屋に、ひとり寂しくただいまを言って、何時も空しくなるけれど、言わなかったら何か大事なものが失われそうでやめられない。
まだしっかりと暖かいコンビニ弁当を開けて掻き込んだら、ぷしゅ、と大人味の炭酸ジュースで流し込む。
スマホを弄って、SNSで今日一日の華やかな世間を画面越しに眺めて自分の立ち位置を確認する。
SNSではバレンタインの話題で一色だ。
あぁ、言われてみれば、コンビニもそんな雰囲気だったかもしれない。
色恋沙汰の「い」の字もないこちらとしては、世間が華やかに賑わいをみせている分、世間との差に辟易する。
スマホを閉じて、テレビで適当なアニメ映画のDVDを垂れ流してシャワーを浴びることにした。
内容なんて聞こえないが、ひとの声がしているというだけで、少しは寂しさがまぎれるものだ。
適当な部屋着を羽織ったら、買い込んだ食料で膨らんだコンビニ袋からしょっぱいお菓子を取り出して、流しっぱなしのアニメを見ながら缶に残り半分のジュースと共に。
ぼーっとしていると、これが幸せかと思えてくるから不思議だ。
塩辛いお菓子が浸透圧で身体にしみ込んだ疲れを絞り出しているのかもしれない。
口の中に蟠った日々の疲れが、炭酸で弾けていくように思える。
いつ寝たのかなんて覚えてもいないが、気づけば次の日、布団をかぶってベッドの中。
歯を磨いていない、なんて後悔は今日が休みだという喜びに比べれば些細なものだ。
目覚ましにたたき起こされない、幸せな朝は素晴らしい。
時計を見てもったいないことをした、なんて後悔を感じるのはもう少し後にして、無音をかき消すためだけにテレビを点ける。
時間が目に入って来ないようにキッチンに向かい、歯を磨きべとべとの口を流す。
水を流す音に混ざって、芸能人がバレンタインの話をしているのが聞こえた。
テレビの中では特選だの限定だのと散々褒めそやし購買意欲を煽ったうえで、食レポが続く。
この中々にセンスのある言葉選びをする芸能人は誰だったか。
世間で流行りの何々誰々と、最近はわからなくなってしまってきたような気がする。
自分の瞳がどれだけ世間を映さなくなっていたかに気付いてしまった。
世間に取り残される感覚。いやだいやだ。
キッチンから部屋に戻り時計を見て時間を確認すると、時刻は正午を回った所だった。
思った通りともいえるが、心のどこかでは思ったよりも早く起きたなという思いがある。
定位置に座り、昨夜買ってきたコンビニ袋の中身を確認すると、ジュースが無い。
一瞬首をかしげたが、うっすらとした記憶の中から冷蔵庫に放り込んだ記憶が浮かび上がってくる。
冷えていない麦ジュースが嫌だったのか、無意識のうちにしまっていたようだ。
数本を冷蔵庫の中から取り出し、適当なお菓子の袋も開けたら、動画配信サイトで気になる動画をひたすらに垂れ流しながら、お気に入りのゲームをプレイする。
対戦型のゲームは負けた時は、悔しいが勝った時の楽しさはそれを上回る。
平日の昼間なんて隣も上も人気がない。多少奇声を上げても問題なかろう。
時折、悔しさに自分でも引く変な声がでるが、やめられない。
定期的になくなったジュースを補給しに冷蔵庫とを往復する以外は、画面にかじりつく。
何度目かの往復でついに冷蔵庫に入っていたジュースが枯渇する。
部屋へ目を向けると、床に転がる空き缶。
あぁ、昨晩は液体の重さを嫌がってそこまで数を買い込まなかったのだったな、と後悔とも納得ともつかない気持ちが湧いてくる。
とにかく思ったのは、面倒くさいということだけ。
買いに行かないという選択肢はないのだ。
流石に着ている部屋着は外に出られるようなものではない。
適当に着替え、財布だけを持ち玄関を出る。
片道二十分の駅横のコンビニまで歩く。
大量のジュースの入った袋を手に家まで戻ってきたところで、丁度お隣さんと遭遇した。
お隣さんは、住んでいるのは二人だけ、彼女のお母さんの二人だ。
事情は知らない。
別に特別親しいというわけでもない。
会ったらどちらともお話はするので、親しいと言えば親しいのかもしれないが、それで親しいと言っていたら実家のご近所さんとは結婚していなければならないレベルだ。
そんなご近所さんの彼女は、今まさに学校から帰ってきたところのようだった。
もうそんな時間か、休日は時間が経つのが早い。
こちらに気付いた彼女が先に声を掛けてくる。
平日のこんな時間に会うことはあまりないので、彼女も少し驚いている様子だ。
ほんの少しだけ挨拶の流れで話をして、それがひと段落着いたところで、唐突に何かに気付いたような様子を見せた彼女が鞄から何かを取り出した。
「おとなりさん。ぷれぜんと、ふぉー、ゆー」
たどたどしい日本訛りの英語を話す彼女の手には、フィルムの小窓から覗くチョコらしき黒い塊の入った可愛らしい箱。
そういえば、前にお隣さんが彼女を英会話教室に通わせ始めたとか言っていたか。英語を話すにはまず失敗を恐れず、という話を聞いたことがあるが、それで言うと彼女は上達しそうだな。
なんて益体のないことを頭の片隅で考えながら、彼女に問いかける。
「もらっていいの?」
「いえすっ! あげる!」
すると彼女は笑顔を見せながらこちらに箱を差し出す。
確かに今日はバレンタインなのだが……
なんでこんなただのお隣さんに、チョコなんてくれるのやら。
可愛らしいリボンの巻かれたそれは、ご近所さんに配るにしては随分と手が込んでいるように見える。
とはいえ、本命ということは流石に無いだろう。
趣味は多様だ。こういうのを作るのが趣味ということも考えられるけれど。
そんなことを考えている内に、彼女はそれをぐいと押し付けるように渡してくると、彼女の住む部屋へと走り去ってしまっていった。
どうにも腑に落ちない感覚を感じながら手にした箱を見ると、角の所が僅かに歪んでいるのに気が付いた。
気になるほどではないが、それ以外がとても丁寧に包装されているが故に、目についてしまう。
とはいえ、流石に怪しいものが入ってているようなことは無いだろう。せいぜいがお腹を壊すくらい。
と、考えてみればこれもあるいは田舎者的な楽観思考なのかもしれないが、家に持ち帰り、買ってきたジュースを冷蔵庫にしまい、彼女から貰ったチョコを口にする。
少し歪んだ丸形のトリュフチョコは、子供が食べるにしては随分と苦いように感じた。
まぁ、私くらいにはこれがちょうどいいかもしれないが。
麦ジュースに若干回っていない頭で、お隣さんからお裾分けを貰っていた実家時代を思い出し、これがうわさに聞くホームシックかとも思ったが、そこまで恋しくもない。
ココアの付いた指をぺろりと舐めて適当にティッシュで拭い、再びコントローラーを持つと、残りの休日を楽しむことに全力を尽くすのだった。