ファンノベルという新しい概念、その3
▼短編
『善吉=しろぽん 様』
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古い家だと、孫の名前を祖父母が決める、なんてこともある。老人を古い人間だと殊更に貶めるつもりはないが、それでも、老人という生物は少なくとも今の時代の真っただ中にいる人間ということはない。それが古くから続いているらしい家系であれば尚更に。昔から続く云々をそれはもう大事にしている場合であればあるほど、家系自体ですら古い時代に取り残されているのだから、そこにいる老人はどれだけ古い時代に生きているのか想像もできない。
そんな人間の付ける名前だ。従妹にいる男の子の名前は、どこの歌舞伎役者だろうかと、そんな人いただろうかと番付表を眺めてしまいそうになるほどだ。そんな大仰な名前を与えられる男の子がいる一方で、女の子供はといえば嫌に単純な名前で、遊郭の源氏名じゃないのだからと気が滅入る。
結局はこれだって、昔は男の子の方が大切にされていたから、という名残だ。こんなの今の時代となっては、何の意味の無い考えではある。
彼女の家は、そんな家系にあった。長い間子供ができなかった両親にようやくできた子供が彼女であったが、男の子を望んでいた主家には大層がっかりされたらしく、こんこんと嫌味を投げかけられた様だ。そんな両親には正直同情するが、だからといって子供に対してこんな仕打ちはあんまりではないかと思ってしまう。
彼女の名前は、主家の祖父が決めた。まるで女が生まれる事なんて想定していなかったとでもいうように用意された名前は、歌舞伎役者のようにおよそ一般的ではないような名前でこそないものの、そこから一部を切り取った名前で、少なくとも女の子の名前ではなかった。
両親は、言われるがままにその名前を付けたわけだが、役所の人も止めて欲しいと思うのは我儘なのだろうか。もしかすると、したくても出来なかったのかもしれないけれど。
この名前の質が悪い所は、言うところのDQNネームに並べればまともな名前に見えてしまうところだ。自身が嫌だと思っても、まだしも普通の名前なのだから共感を得られにくく、無自覚に地雷を踏みぬいてくる人が多い。それらは、ひとがどれだけ気にしているかも知らず、あるいは見ようとせず、へらへらずけずけと触れてくるのだ。子供は、知らないだけと思えばまだ許せるが、それ以外には殺意すら湧いてくる。
けれど、それで周りに当たり散らすのもまた違うだろう。一部の女性を除いて、誰もがそもそもとして嫌がることだと思って触れていないのだから。理解できない、共感能力を未だ習得していない子供や、欠如してしまっている可哀そうな人に対して怒っては、それは此方側の理不尽な怒りになってしまう。
それでも当然、哀しくなるし、不愉快にも感じてしまう。胸の内に際限なく溜まってゆくもやもやとした感情に、いつかどこかにその理不尽な怒りを向けてしまいそうな自身がいて怖くてしょうがなかった。
そんな人物は物語の中では沢山出てくるじゃないか。物語の中でそんな人物は、放火したり、野良猫を解剖していたりするのだ。何かの拍子にいつか自分がそうなってしまうのではないかと、そんな登場人物を見るたびに思った。同時に、絶対にしたくないと思うのだ。
ならどうしたらいいだろうと考えても、教えてくれる人はいないし、答えが出せるならそもそも困っていない。仕方がなく、対処的に袋に詰めて、口を固く縛って放置するしかない。
するとどうだろう、周りからは大人しい子という評価を下されるのだからますます現実との乖離が甚だしい。面倒くさくてしょうがない。はっきりと嫌がらないと周りは増長してしまう、と少しして気づいてから失敗したなと思ったが、今更変えようもなく、空っぽで、叩いたらいい音がしそうな頭で考えられた面白くもない弄りや冗談に、あはは、と苦笑いでやり過ごす。
日々の生活で溜まり続けるもやもやに、気軽にどっかんと爆発出来たらどれだけいいだろうかと思うけれど、そんなことは出来ないから、今日も袋の口は堅く縛って適当に取り繕うのだ。ぽろぽろと結び目の隙間から零れる毒は気づかれなければ問題はなしのご愛嬌ということで。
心から口までの間のフィルターでろ過しきって、ある程度綺麗な状態で外に出せば問題はないのだ。にこにこして朗らかな彼女の発する耳あたりのいい言葉が、ろ過される前はどんな言葉なのか、そんな想像をするひとはいないのだから。それでいいのだ。
そうして濃縮された毒がいつしか固形になって、ある日ころんとまろび出た。
黒々としたそれが黒曜石のように美しければいいのだけれど、そうもいかないから悲しいものだ。こんなに頑張っているのだから、副産物くらいあってもいいような気もするのに。
処理には非常に困る塊を握りしめて日々を過ごす。投げつけたいと思うことは幾らでもあったが。
手放せない呪いのアイテムをぼんやりと手の上で転がしながら、衝動的に、ぱくりと齧ってみた。なんでそんなことをしたのかはよくわからない。犯罪者が証拠品を飲み込んで隠滅しようとするのを、なんたら24時みたいな番組で見るが、あるいはそれと同じような心境だったのかもしれない。いずれにせよ、もうどうしようもなくなってしまって追い詰められたが故に、最後の手段に出たのは確かだ。
もごもごと口を動かす彼女は、意外と美味しいかもしれないと思った。
取り込んだ先でどうなるのかはよくわからないし、きっと碌なことにはならないだろうと思ったが、不法投棄するわけにもいかないし、ひとにぶつけるわけにもいかないとなれば、自分でどうにかするしかないのだ。どうにかなった時は、その時はその時だ。ウサギやコアラの習性にも似たようなものがあるし大丈夫だろう。
最後のひとかけらを飲み込んで、ようやく手元から消えてくれた塊に清々した。何か不調が出るかと身構えていたのだが、意外とどうにもならないことにこんなものかと感じる。けれど、彼女の中では次に出てくるまでに確実に濃縮され、いつかは食べられないほど固く結晶化してしまうだろう。結局はそれまでの先延ばしではある。そんなことは彼女自身分かっていたけれど、ぎゅっぎゅと圧縮した先で、黒曜石のように美しくなれば、まだしも芸術品的な価値が生まれるのではないかという幻想を抱いていた。一昔前に流行った水晶を育てるキットの様な気分で。あるいはマリモかサボテンか。そう考えると、早く捨ててしまいたかったもやもやもなんだか少しくらいは持っていてもいいかもなと思えた。
何度も、何度も濃縮に濃縮を重ねた先で、彼女の中で煮詰まった毒は深い色合いを示す宝石に変わった。流石にこうなってしまっては食べることもできない。けれど彼女は自身から生まれたとは思えないほど十分に美しい宝石が嫌いではなかった。
宝石だって結局は炭素で、つまるところは炭なのだ。なら毒が宝石になったって不思議ではないだろう。だからこれはまごうことなく宝石なのだ。
金物で宝石を飾り身につけてみれば、彼女自身から生まれた彼女の一部は、ぴったりとその身に似合った。
周りは意外と言いつつも、それを見て美しいと評すけれど、それが毒の塊なんて想像もしない。
ちりちりと揺れて自己を主張する黒い宝石が、大人しい、という白い評価をされる彼女を飾る。
おしまい。