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恋not=愛
今日は夜が明けてきましたね
夜投稿は三日坊主になってしまいました(苦笑
ところで皆様、恋と愛ってよく混同されがちですよね。
誰かに恋するということは、その誰かを好きということになります。
つまるところ、恋していることになる。
そう考えることもできますけどね。
愛して、相手を求めたらそれは恋になる。
なので、恋は愛の拡大解釈でいいのでは? とも思うのです。
事実、英語だとどちらも『LOVE』
ドイツ語でもイタリア語でも同じ言葉で表されますからね。
でも、それでも私は少し違う風に思うのですよね。
それはあくまでも、この二つに明確な違いを求めていなかったからに過ぎなくて、恋はどこまで行っても恋で、愛はどこまで行っても愛だと思うのです。
だって、違いがないのなら、恋と愛の二つの言葉が生まれることなんてなかったはずですよね?
確かにとても近いものではあるのでしょうし、互いに容易に変化しうるものだとは思います。
よく、恋は見返りを求め、愛は求めない。
恋は有償であり、愛は無償である。
と、言うことがありますよね。
でも考えてみてください。
ではなぜ『無償の愛』なんて言葉があるのでしょう?
不思議ではないですか。
恋は有償であり、愛は無償である。
と、するなら、『愛』という言葉は『無償』である情報を内包していることになりますよね?
するとどうでしょう。
『無償の愛』は『無償の無償』と言い換えることも出来てしまうではないですか。
つまるところ、愛は無償ではないと思うのです。
すると、恋が有償であるというのも疑惑が湧いてきます。
なぜなら、欲望の無い恋は、相手の為に何でもできるような、それこそ無償の奉仕になるじゃないですか。
なので、有償と無償は恋と愛を分けるには適切なものではないのでしょうね。
では、何で分けるのか。
私はこれを、向けることのできる対象の数だと思っています。
『愛』この言葉が向けられる対象は、途轍もなく多く、そして広いです。
そこに大きさの違いはあれど、愛を向けるという点に相違ありません。
しかし、『恋』は違います。
この対象は常に特定の個です。
二人三人と、向ければそれは、恋ではなくただの独占欲の類、あるいは愛へと変化してしまったものだと思っています。
故に、恋は唯一であり、対象に対して最上位であるものになります。そして、最上位は同時に複数存在することはできません。
しかし、愛は違います。
元から複数に対象を向けられるものである分、質や量、大きさに違いが生まれる前提になるのですから、問題ありません。
優先順位が、高い位置から順番に並ぶだけです。
この論理で、私は『恋』と『愛』が違うものであると思っているのです。
皆様は、恋を向ける相手と、愛を向ける相手を間違えてはいけませんよ?(笑
明日もいい日になりますように。