【関西】帰国子女→関西私立・一浪→東大文二 教育ログ#26
0.今回の教育答え合わせさん
→関西の私立高校から東京大学文Ⅱに合格された「東大卒の人生を考える会」さん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!
「現役で通っていれば90点、結果的には1浪したので80点のスコアを付けました。途中で文系に変わったこと、高校受験組で勉強の開始が遅かった点、現役時代はやや我流の勉強法を取ってしまっていた点が悔やまれます。ただ自分の興味関心に沿った勉強ができた点、自律的に楽しく勉強できた点、数学3Cに関しては大学時代、社会人のいずれにおいてもかなり活躍してくれているので個人的には満足しております。」
と語る「東大卒の人生を考える会」さんの教育答え合わせに迫ります。
1.回答者略歴
Q:お名前を教えて下さい。
→「東大卒の人生を考える会」と言うペンネームで現在noteの執筆を行っております。
以下のURLもご参照していただけますと幸いです。
東大卒の人生を考える会|note
Q:年代を教えて下さい。
→30代
Q:ざっくりのご職業・業界を教えて下さい。
→金融機関勤務
Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→海外にいた際はとにかく落ち着きがない生徒、自由に振舞っており、外国人からのウケは良かった。
日本に帰国後は特に目立ちもしない2軍キャラ。学業成績は良かったが、生徒会長を務めているようなタイプでもなかった。
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。
Q:最終学歴を教えて下さい。
→東大文2→東大経済学部
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→海外の小学校→関西の公立小学校→関西の公立中学校→私立高校
Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。
① 自走力・自律性 :5P
学習計画は全て自分で立てて、参考書なども自分で選択していた
② 要領の良さ :3P
勉強面・生活面のいずれにおいても要領はかなり悪い。勉強面でも不必要な遠回りをしてしまっていた(途中で理系→文系に転身する等)
③ 持久力・耐久性 3P
だいたい1時間勉強したら5分程度は休憩していたので、集中力は無い方だと思う。テスト中はむしろ過集中に陥るので、普段の勉強時は甘えが出ているのかもしれない
④ ストレス耐性 4P
好きな科目とそうでない科目があり、好きな科目(数学・世界史)であれば、全く抵抗が無いが、そうでない科目(英語・国語)の場合は勉強自体が億劫になる。
⑤ 理解力 3P
理解力自体は高いと思いますが、呑み込みが早いかと言われるとそうではないです。むしろ呑み込み自体は遅い方だと思いますが、ある分野を深堀することは得意かもしれません。
⑥ 関心範囲の幅 3P
ムラがあります。自分が興味を持って勉強できたのは、数学と世界史、日本史でした。その一方で国語と英語は勉強していても全然楽しくなかったです。英語は洋書を読んだり、近所の英会話に通うなどより実践的な学習を行い、国語に関しては新書を読むことで勉強した振りをしておりました。
Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→単純に勉強能力と言っても色々あると思いますが、自分はどちらかと言うと学者タイプで、試験で高得点をただひたすら取れるタイプではないと思います。
ミスも多いので、全体で60%取れば合格出来る東大入試はありがたかったです。入試の得点だけ見れば、平均的な東大文系の学生よりは学力はあったように思いますが、そこも一浪している身なので自信をもってそうだとは断言できないところです。
ただ自分自身で学習計画を立て、参考書の選択や勉強法の工夫などは自分で基本的に行っていたので、その辺りの自律的な学習スタイルは他の東大生にも負けない自信があります。
Q:(あれば)ご自身の学習特性に気付いた時期、気づいた上での学習面の工夫などあれば教えて下さい。
→幼少期(海外滞在時)から授業中にじっとしていられなくて親が頻繁に注意されていたみたいです。
中学、高校でも授業を集中して聞くことが出来なかったので、ひたすら参考書を読んで学習しておりました。どうせ授業に出ても集中力は持って30分程度でしたので、塾にも通わずひたすら自学自習スタイルを取っておりました。今でいうところの武田塾スタイルでしょうか。自学自習の時間だけで言うと他の東大生よりも長いような気がします。
また授業に仮に集中できたとして、ASDゆえの視覚優位から、あまり頭に入ってこないので、参考書でひたすら学習するというスタイルは自分に向いていたと思います。
Q:教育の得点配分を教えて下さい。
Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→自分自身の学力養成に決定的に重要だったのは、①幼少期の海外経験と②高校時代にギアを入れまくって勉強したことの2点だったと思います。
なので、小学校の時と高校時代の配点を比較的高めに設定しております。幼少期は自律的に勉強できていなかったため、配点の割には点数は低くさせていただきました。
一方で高校時代は、自発的に学習出来ていたため、比較的高いスコアとさせていただきました。ちなみに親は殆ど勉強面では介入してきませんでした。放置プレーに等しかったと思いますが、教育に係る費用は工面してもらえたので、そこは感謝でしかないです。
まず海外経験からですが、これが全てだと思います。これがあったため、英語と言う一つ目の軸が出来、塾でも先生から期待されたことで他の科目も上がっていったという経験がありますので、やはり受験において帰国子女は大変有利だと思います。ここは認めざるを得ないと思いますし、「せこい、ずるい」と言われても仕方がないものだと思います。
高校時代の話ですが、これは高校1年の時にクラスの友人と東大のオープンキャンパスに行き、一目ぼれしたというのが正直なところです。これを機に猛勉強するようになりました。今のnoteでは、「東大ではなく医学部」と主張しておりますが、あの時は東大に恋してしまっていたので、仕方がないですよね(笑)
2.保護者の教育スタンス(配点20点)
Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父母ともに4大卒。関西だと高学歴扱いだと思いますが、東京に来ると決してその限りではないと思います。どこにでもいる普通の大卒だと思います。
Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→勉強に関しては、基本的に放置プレー。
親に勉強を強制されたことは殆どなかったです。親は学生時代にそこまで勉強していなかったみたいなので、「何でそんなに勉強するの?」と言った感じでした。小学校までは、塾も通信教育も特にしていなかったです。
ただ、前述の通りで、参考書代や英会話等の金銭的なサポートは惜しみなくしてくれました。
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→ポジティブに作用したと思います。
自分は自律的に学習するタイプの人間なので、逆に親に何か言われていたとしても聞いていなかったと思います。そういう意味では、放置プレーを決め込んでくれていたのは非常にありがたかったです。伸び伸びと学習を進めることが出来たので、勉強が嫌いになることもありませんでした。
Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→放置プレー
Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→特になかったです。
毎日何時間勉強しろ、宿題をやれみたいなのはなかったですし、遊びを制限されたことも無かったです。
ただ唯一挙げられるとすると、親が大河ドラマをよく見ており、一緒に視聴する機会が多かったので、ここで歴史の漠然とした流れみたいなのは掴めたのかもしれません。家の中に本はそんなに置いていなかったかなと思います。
Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。
→放置プレーを決め込んでいてくれていたこともあり、最低限の管理があったくらいで、とても居心地は良かったです。
ある意味信頼があったのかもしれないですし、そもそも関西の田舎に在住していたので、そこまで学歴や学力に対する拘りが強くなかったのだと思います。親としても最初は、関関同立くらいに行ってくれたら万々歳くらいのスタンスだったようです。
3.~小学校時代※小学受験含む(配点30点)
Q:小学受験はしましたか?
→していないです。幼稚園時代から海外に在住していましたし、多分親は小学校受験の存在を知らなかったのではないかと思います。
Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)
→小学校の頃は、海外にいたので平日は現地校、土日は日本人学校に通学しておりました。海外駐在員の特権でもあるのですが、基本的にはその国でトップクラスに治安が良く、教育レベルが高いエリアに会社持ちで住むことが出来るので、周りのレベルは高かったと思います。またそもそも授業が母国語ではないので、そこもやはりネックでした。算数だけは、言葉の壁を越える部分があり、成績は良かったと思いますが、それ以外の科目の出来は普通かそれ以下だと思います。
日本人学校も同様にレベルが高かったです。駐在員なので、基本的には総合商社や今でいうメガバンク等エリートの子息揃いでしたので、当然ですがレベルはかなり高かったです。そこでも平均的なレベルだったと思います。ただ週に一回しかなかったので、やはりそもそもの学習の絶対量が足りなかったと思います。
小学校高学年で帰国しましたが、今度は算数以外の科目はかなり苦戦します。四字熟語とか殆ど知らなかったです。普通の公立小学校でも完全に落ちこぼれの通知書でした。
Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→勉強は殆どしていなかったと思います。海外在住時は日本人学校で出される課題を解いていたくらいです。現地校では宿題は殆ど出ませんでした。帰国後も学校の宿題を中心にやっていたと思いますが、それもムラっ気のため、完璧にこなせていたかと言うとそうではなかったです。
Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→海外の現地校はLv5、帰国後の日本の小学校はLv3のため、総合でLv4とさせていただきました。
出羽守みたいになってしまい大変恐縮ですが、海外の学校の方が日本の小学校よりも教育体制と言う面では遥かに進んでいました。勿論富裕層が集まるエリアで、予算が潤沢なことも影響しているのだとは思いますが、日本の小学校よりも遥かに一人一人に対して丁寧に接していたように記憶しております。日本のような詰込み教育の側面はなかったですし、どちらかと言うと楽しんで勉強しましょう!というスタイルでした。
また外国人はADHD気質の小学生もかなり多かったのですが、そこに対するケアも手厚かったです。
帰国後は日本の小学校があまりにも学校が軍隊式だったので、息が詰まる感じだったと記憶しております。日本の小学校はあまり自分にはフィットしていなかったです。
多分JTCで未だに窮屈な思いをしているのは、この時の経験が関係しているのではないかと思います。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
学校の宿題のみ。
Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?
→海外在住時は、サッカークラブに入っておりました。帰国後は何もしていないです。
サッカークラブでの経験は、学習面では役に立っていないですが、体力はここで身に着いたと思います。
Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→学業関連の習い事はしていないです。
Q:習い事の学業成績への影響面について教えて下さい。
→学業関連の習い事はしていないです。
Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→公文式。公文式をやっていた方はやはり計算スピードが速い。
Q:小学校までの読書について教えて下さい。
海外在住時:洋書の絵本を読んでいた。(年間で20冊程度)
帰国後:解決ぞろり、はだしのゲン等。(年間で10冊程度)
Q:読書量・読書ジャンルと学力との関係についての分析をお願いします。
→幼少期から洋書を読んでいたことで、英語の読解スピードは普通の日本人よりは明らかに早かったので、明らかにポジティブに作用した。ただその分、日本語の読解能力は低くなってしまったと思う。
Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→遊戯王、デュエルマスターズ、ポケモン、ベイブレード、野球
遊戯王とデュエルマスターズを通じて明らかに簡単な計算能力や思考力は上がりました。また先を読む能力や戦略の立て方もここで学びました。ただ膨大な時間と体力を奪われたので、学習面にはマイナスに作用していたかもしれません。
Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特になし。
Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。
→明らかに小学生時代の英語学習経験が東大合格において決定的に重要だったと思うので、本当はもっと高いスコアでも良いかもしれないが、自発的に机に勉強するという習慣が無く、実際に殆ど勉強していなかったので、当該スコアとしました。
4.中学時代※中学受験含む(配点20点)
Q:私立の中学受験は考えましたか?
→考えていない。帰国後に在住していたエリアにおいて中学受験をするのは、一学年120名の中で3名とかでした。また帰国したタイミング的にも中学受験はちょっと間に合わないといった次第でした。
Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
→中学校では、後に京大に進学した友人とトップ争いをしていたがなかなか勝てなかったので、この評価としました。一緒に灘を目指しておりましたが、二人とも惨敗でした。灘は本当に難しいです。
Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→地元の塾に通っておりましたが、そこでの勉強が楽しかったというのがあります。
またネガティブな側面としては、公立中学では、途中からあまり話が合わなくなっていったので、勉強にアイデンティティを見出していたというのがあります。また数学が特に好きで、知的好奇心を満たされるという事で自発的に勉強しておりました。
Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→地元の公立中学校に通っておりましたが、荒れた中学校であり、ヤンキーが授業中に騒ぎ出すような様相でしたので、あまり授業には集中出来ませんでした。ただその分、先生の注目が自分に行かなかったので、内職し放題、寝放題だったのは助かりました。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
→塾の課題をこなしていました。ただそれも強制的なものではなかったので、そこまで根詰めて勉強していたわけではございません。
Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?
Q:習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→ここの塾での経験が自分自身の学力養成の観点で非常に重要でした。ここに通学したことで、学習習慣が身に着いたと思います。
Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→「皆で灘を目指そう!灘は受験界の甲子園や!」
Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?
→ここで基礎的な学力を身に着けることが出来た。
自分の場合は、小学校段階では基礎的な学力が身に着いていなかったが、中学校の最初の段階である程度挽回出来たと思う。
5.高校時代※高校受験含む(配点30点)
Q:私立の高校受験は考えましたか?
→はい、むしろ私立しか受験していないです。中学では副教科の内申点が芳しくなく、早い段階で、公立高校の受験は諦めました。
Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
Q:高校での勉強への意識はどのようなものでしたか?
→関西では有名な進学校に高校受験で入学したことで、周りのレベルが高かったです。その中でとにかく上位に行きたい、東大に行きたいという思いで一心不乱に勉強していたと思います。また単純に高校の勉強が楽しかったというのもあります。
引き続き数学の勉強が1番好きでした。ただこの時は中学時代と違って、好奇心を満たす勉強と言うよりも、本当に点数を取るため、受験で勝つための勉強にスイッチしてしまったと思います。
Q:高校の教育環境についてはどう考えていますか?
→自由な校風で、そこまで勉強を強制されることは無かった。宿題の量が多いと言う訳ではなく、自律的に学習出来たため。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?(平均値で算出してください。高3は受験期を含む1年間、受験期はピーク時という意味)
高1は、中学受験組に追いつくためにとにかくハードに勉強した記憶があります。特に数学面での遅れが最初は顕著でした。高2は、高1で勉強に力を入れ過ぎたこともあり、少し中だるみしてしまいました。高3と受験期はちゃんと勉強していたと思います。
Q:習い事は何をされていましたか?
→身バレ防止のため、浪人時代の予備校は伏せさせていただきます。ただ河合・駿台・代ゼミの三大のどこかに通学しておりました。
高校時代は、家が高校までかなり遠く通学だけでもかなり時間を取られたこともあり、塾には一切通っておりませんでした。
Q:高校時に学習・進学などで記憶に残る言葉・事件はありますか?
→ここで妥協したらお前、一生後悔するで。(東大受験を止めようとした際に)
Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?
高校時代はそれこそ受験モンスターだったと思う。
ここでかなりギアを入れたので東大に合格できたと思う。現役で合格出来ればベストだったが、そうはいかなかったのは残念。高2途中で理系から文系に転身したのが無ければ現役で行けたような気もしなくもない。ただ全般的には、勉強自体は楽しかったので、非常に良い思い出。
本当はこの時の経験を活かして、受験産業に携わりたいが実現できていない。
Q:ご兄弟(姉妹)との学歴または学力の差異があれば、その発生要因の分析をお願いします。
→正直に言うと学力差はあった。自分自身が海外に行けた時期が英語力養成において重要な時期だったというのが一番決定的な要因。あとは自分の方が知的好奇心は強かったと思う。
海外駐在は、時期が選べるならそれに越したことは無い。
5.答え合わせを終えて
→普段noteを書いていることもあり、全然苦ではなかった。と言うより楽しかった。この年齢になると自分語り出来る機会もないので、このような貴重な機会を与えて下さり本当にありがとうございました。
6.採点後面談
どうも、#1のカラシカシです。
友人から「めちゃくちゃ面白い記事あるぞ!」とリンクが贈られてきたのが『東大卒の人生を考える会』さんのnoteで、1時間くらいむさぼるように記事を読み漁り、「この人の答え合わせを聞きたい!」と思ってオファーしたのが今回のきっかけでした。
主だった感想としては、
①#7みちともパパさんの答え合わせと合わせて、『ADHDの傾向があり、知的好奇心に富んだ方』は自走力があり、保護者がそれほど手をかけなくても学力は自然に醸成されていくんだなと思いました。
②あとはやっぱり『確固たる得意科目の獲得』ですね。「これは負けない!」という自信は、「頑張れば他の科目でも優秀になれるハズ」という自分の能力を信じる拠り所になるよなと。
東大卒の人生を考える会さん、冷静な自己分析とシャープな書きぶりの答え合わせありがとうございました!