見出し画像

私がColaboとPENLIGHTにNOという理由


下記動画の書き起こし(一部改変)です。
もともと、喋って伝えるための原稿なので、良かったら動画のほうを見てね👐
https://youtu.be/1wTmN9cZgWo

===================

私は性被害者です。
それが原因で自殺未遂して、ICUに入りました。
その後も、心が不安定だから長期入院をしました。

私が数か月入院した病院は、自由に出入りができない閉鎖病棟でした。入院当日、入院着に着替えて個室に連れられたのですが、その個室を見てとても怖くなりました。
私が入る個室の向かい側には、ナースステーションがあって、その個室の壁が全面ガラス張りだったからです。

部屋の中で自殺や自傷をしないように、監視するための構造です。その部屋に入れられて、外から鍵をかけられました。
個室の中にあるのは、ベッドと、トイレだけ。
トイレには、外から見えないような衝立などはなく、ただ便器が置いてありました。ガラス張りの部屋なので、当然、排泄まで見られることになります。

10代の女性が、ガラス張りの部屋で、排泄まで監視されるのはどれだけ辛いことでしょうか。ナースステーションには当然、男性もいます。今は、プロの人だから、性別は関係ないと思っていますが、当時はそうは思えなくて、とても辛かった記憶があります。

どうして、って思いました。

私は何も悪いことしてないのに、ただ傷つけられた側なのに、どうして私がこんな刑務所みたいなところに入らないといけないのかと、思いました。
「これは何の罰なんだろう」と、何もない部屋で思いました。

個室に入るときに、隣の個室も横目に見えたのですが、隣も同じタイプのガラス張りの部屋で、中には全身をベッドにベルトで拘束されて口枷をされた若い女性がいました。たまに壁越しに、隣の部屋から呻き声が聞こえてきて、ここは地獄だと思いました。
この地獄が、私の人生の終着点だと、そう思いました。

そうして、個室にはいって一日中ぼーっとして過ごして、抗うつ剤を処方される日々が始まりました。でも、その抗うつ剤が、私の体には合わなかったのです。副作用で筋肉のこわばりが出てしまって、体が思うように動かせなくなりました。
首が横を向いて戻らなくなって、腕もひきつれて自分で動かせなくなって、視線も斜め上を向いて、口も閉じられない。

涎が出てもふけないし、涙が出てもふけなかった。

私の体は傷つけられて、その結果として辿り着いた場所で、口のひとつも、自由に動かすことができなくなった。

自由になるのは、心だけで、だから、私は、私が考えること、感じること、これだけは誰にも奪われないようにしようと思いました。しなきゃいけなかった。
そうしないと、心まで奪われてしまったら、何もなくなってしまうから。

こんなことは、もうずっと前の話で、そういえばそんなこともあったな、って思うくらいの話でした。でも、Colabo問題が騒がれて、保護した女性を辺野古の座りこみに連れて行ってるって話を聞いて、すごく怖くなりました。
もしかしたら、私も、支援団体に助けをもとめていたら、座りこみのようなことをしていたかもしれません。

そんなふうに、支援者に、何を考えるか、何を感じるのかを、誘導されるのはすごく怖い。
自分の意思で、座りこみをする分にはいいと思います。でも、支援者と被支援者っていう、権力勾配がある中でやることではありません。被支援者という、心の回復の過程にある人にやらせることではありません。
現地でやりたい人だけ、と言われても、性被害や虐待を受けた人は、人の顔色を窺いがちです。支援者はこう期待してるだろう、と顔色を見て、気に入られようと動きます。
私だって、現地に連れて行かれたら、きっと嫌とは言えません。
そしたら、私が唯一守ってきた、唯一誰にも奪われなかった、考えること、感じることまで、奪われてしまう。
それは私にとって、とても怖いことです。(※1)

だから、私はColaboに反対します。
Colaboを守る、肯定する人たちにも、反対します。
辺野古の件について、しっかり批判して、自浄して、正しい支援になおしていくべきところを、女性差別に問題をすり替えて、女性を盾に使っている人たちは、おかしいと思う。

Colabo関連者やColaboを支える会のメンバーが賛同人の多くを占めるPENLIGHTも、「意思確認は二次加害ではない」(※2)って言いきって調査と検証を訴えていますが、すごく怖くて、残酷なことを言っていると感じます。

性被害があったかどうか、言うか言わないか、それを一人ひとりに尋ねるのは、二次加害になりえます。意思確認するということは、「過去を思い出して」「他人に言うかどうか決める」ということです。とても心に負担のかかる行為です。もし必要性に迫られて行うとするならば、とても慎重に行わなければいけないことです。
それを「丁寧に意思確認すればいいだけ」「意思確認は二次加害ではない」などと軽く扱うのは、あまりにも性被害者への理解が薄いと感じます。
どうして、PENLIGHTが二次加害を定義できるのですか?
被害者の気持ちが、一番大事なのではないですか?
私は、意思確認だって、されたくありません。言いたくありません。でも、このままでは、二次加害を容認する風潮が広がってしまう。そんな危機感から、自分の体験を話すことにしました。PENLIGHTはどれだけ残酷なことをやっているか、よく考えてほしい。

第三者機関の設置には反対しません。
でも、受動的な相談窓口で良いと思います。傷ついた人が、言いやすいような環境を作っていこう、で良いのではないでしょうか。

話す自由と同じくらい、話さない自由だって、大事にしてほしい。
言わない自由だって、ある。
聞かれない権利だって、ある。

私は、当事者の立場から、ずっと苦しんできた立場から、そう思います。

また、PENLIGHTはバッシングされたことを、「性暴力に反対する運動がバッシングのただ中にある」って主張しています。
PENLIGHTは、性暴力に反対してるからバッシングされてるんじゃなくて、ファンである証拠を出せないのに、ファンだと偽って、ファンの気持ちを踏みにじるからバッシングされているのです。それを、性暴力に反対するからバッシングされてると問題をすり替えることは、性暴力被害者の気持ちをも踏みにじっています。自分たちが嘘をついたと思われる状況を作ったのが良くないのに、性暴力被害を自分を守る盾に使わないでほしい。
盾に使われた性暴力被害者は傷つくんです。

一般社団法人springは、「性被害を受けた人生を法改正の資源にする」ってビジョンに掲げていますが、私たちは資源ではありません。
法改正の道具にも、政治活動の道具にも、されたくない。
被害の苦しみと、どう折り合いをつけるかは、被害者がいろんな選択肢の中から自分で決めることで、誰かに誘導されることではない。
被害者は、誰かの主張に利用されるために、被害にあったわけではない。

私は、当事者の立場として、今の一部の性被害に対する支援が、本当に性被害者のことを考えられていないように感じます。だから、Colaboにも、PENLIGHTにも、それを黙認している支援界隈にも、今後どんなことがあっても、訴えられても、お金とか社会的地位とか全部失っても、NOって言う。私が学んできたこと、自分の人生を取り戻すためにつけたスキル、全て使って、NOって言う。
だって、性被害者の心や考え方までも支配するような、今の支援の在り方を許してしまったら、私が私じゃなくなってしまってたかもしれないから。心が自由にならないことが、一番怖いことだから。

性加害も二次加害もなく、被害者の辛い体験が、何にも利用されない社会を願います。

(※1 辺野古についてはこちらの動画で話しています)
  (※2 使いたくない言葉があるので、一部表現を変えています)
(なお、現在は心身ともに健康で、趣味に仕事に毎日忙しく楽しく過ごしてます👐推しチャンと出会えたこの人生、最高だよッ💖)


いいなと思ったら応援しよう!