角川文庫 『ジョーカー・ゲーム』 柳広司著

テーマは存在しない登場人物。

今回の作品は、スパイが主題になっているお話です。
スパイ養成所での教育の後、送られる卒業試験での話が中心になっています。
ですが、一貫した物語ではなく前提を共有しただけの短編集のようなものと考えていただければいいと思います。

今回は、前回と同様「言葉の反復」が見られるのですが、先週の反復とは意味が異なっています。

先週の黒猫王子の喫茶店では、主人公の境遇、これから始まる物語の設定への説得力と印象付けのために、「お金がない」ということを繰り返し反復していました。
今週のジョーカー・ゲームでは、「透明人間たれ」という教訓を染み込ませる形で繰り返し反復されています。これは、物語の設定や主人公の境遇を示す目的ではなく、ただ明確に存在するものとしての反復です。

さて、本題。
この小説の中には主人公がいません。少なくとも、「血の通った人間として生きている」登場人物は片手で足りるほどしか登場しません。
その理由はおそらく、「スパイとは見えない存在だ」という言葉が根拠となっています。

各話の登場人物も中心人物も確かに登場するのですが、人間ではなく状況描写、風景・視界の描写等の客観的な事実のみを事細かに書くことによって、登場人物の印象を限りなくゼロへと近づけています。
ラジオの実況中継を見ているような、ブラックボックスの中身を当てようと感想を語っているような、そういった類の事実の積み重ねが物語という形を成しています。
我ながら、何をいっているのかわかりませんが、キャラクター小説とも過去の文豪たちによる名作とも違う、異質な(それでいて自分に近い何かがある)物語として成立しているのです。
今日も今日とてうまくまとまらない。
読了感を残しつつ、個々のキャラクターについて印象に残させない。
コンセプトから文体、描写方法その全てに至るまでが一貫されており、感服いたしております。

単なる事実の羅列で終わらせないポイントは何か。
それは、読者を推察へと導く構成と時折言葉を発する登場人物、神の視点か一人称か判別のつかない曖昧な描写。これらが絶妙に折り重なることによって、物語としての体裁を成立させているのだと考えています。
特に今日は構成について所感を。
各話とも綺麗な起承転結の形が守られているように感じます。
始まりを透明人間のような登場人物に「語らせる」ことで、物語への導入を促します。
そして、何かが起こり解決する。読者が引き込まれるのは転の部分でしょう。定石通りというべきですね。ここで、読者に対して先の展開をそして結末を思考させるためのヒントが提示される。そして、ここから答え合わせとなる結の部分までのページ数が少ない。それによって、答えを求める読者の心情をコントロールしています。また、結びの部分で長々と解説するのではなく、事実だけを主観で簡潔に語る。主観で始まった物語を主観で終わらせることで、一貫性と読了感を生み出しています。

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