(鉄道趣味)撮り鉄は、宝探しから漁になった
撮り鉄の話題から。
撮り鉄が問題を起こしたり、ニュースになったりすると、年配の趣味人から「昔の撮り鉄はそんなことなかった」という話が出てくることがあります。これはもう昔の話であり、本当かどうかを確かめる術はないのですが、ひとつ言えるのが「昔と今では情報の拡散度合いが全然違うから、その分人が集まりやすくなった」ということです。
昔、というのをどのくらい昔にするかにもよりますが、たとえば私が鉄道趣味をはじめた中学生の頃、なので2000年代初頭においては、臨時列車や珍しい列車の情報ってもうほとんど手に入りませんでした。当時既にインターネットがあり「2ちゃんねる」がありましたから、そこに断片的な情報が書き込まれるのを見たり、「鉄道ダイヤ情報」などの雑誌の情報が頼りだったわけですが、前者は嘘も多かったり情報が不完全だったりしましたし、後者はお金を出して買わないといけないのでバイトもできない中学生にはなかなかハードルが高かった。
撮影地に行って、たまたまそこにいた人から「今日○○が来るかもしれないよ!たぶんだけど」と情報を得て、待ち構えていたら本当に来た!ラッキー!みたいな、そんな感じでした。2000年代初頭でそんな感じですから、90年代、80年代はもっと情報が限られていたことでしょう。その中で珍しい列車を見たり、撮ったりしようとするのは、もう宝探しの領域だったのではないでしょうか。
翻って現在は、臨時列車や珍しい列車があれば情報はTwitterで出回り「今どこを走っている」「どこどこで停車して時間調整するらしい」といった実況から現在位置をおおよそ把握することもでき、次を予測することも可能になりました。撮るほうも、昔であればフィルムカメラや撮影枚数に限りのあるデジカメだったのが、無限に撮れて誰もが持っているスマホカメラに変わり、ものすごくハードルが下がりました。参加者が増えて年齢層も広がり、珍しい列車の情報も事前にわかる。するとどうなるか。「ここにいる誰よりもいい写真を撮りたい」という気持ちになるのは、当然のことですね。
これはもう「漁」ですよね。魚群探知機などを使って魚のいる場所を探し、集まってきた船団の中で誰よりもいい魚を大量に獲ってやろう、という状況が、現在の状況をあらわしているのではないか。
批判しているわけではなく、そのようにして参加するハードルが下がったこと自体はとてもいいことだと思います。ただハードルが下がって多くの人が集まってきた結果、珍しい列車が走るときに、トラブルが起きたりすることが増えてきたのかもしれませんね。そういう状況を見て「昔の撮り鉄は(そもそも珍しい列車が来ることを事前に知る由もなかったし、来たらラッキー程度にやっていた少人数の趣味だったこともあって)そんなことなかった」という発言になっているのではないか。そんなことを思いました。
先日、関西で線路内に入って写真を撮っていた少年?がニュースになった際、線路内に入った理由として「誰よりもいい写真を撮りたかった」と発言していたことが報道されていましたが、これがまさに現在の状況をあらわしているのではないでしょうか。
そんなお話。見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます。