芝居ヲタクから見たゴースト&レディ
皆様はじめまして、あさぎと言います。
noteは常に見る専で生きてきた人間なので、書くのは初めてです。
拙いところも多々あるかと思いますが、温かい目で見守っていただければ幸いです~!
先日、劇団四季のミュージカル「ゴースト&レディ」を観に行ってきたので今回は個人的な考察も織り交ぜながら感想を書いていこうと思います。
語彙力が皆無なので読みづらかったら申し訳ないです……
※ネタバレ注意
さて、初っ端からネタバレをねじ込んでいきましょうか。
まず、この作品の舞台は19世紀、イギリス。ゴーストであるグレイの記憶の中の話です。彼による、思い出を大切に読み聞かせるような語りで始まり幕が上がります。すると、目の前にドルーリー・レーン劇場。まずこの舞台セットがめちゃくちゃ好みでした。芝居の中の芝居シーンなので当たり前なんですけど、演者を手前にして私たちが観客を眺める構図になっていて、私たちこそが観客なのに、と不思議な感じでしたね。(こうしていちいち話を中断すると終わりが見えなくなってしまうぞ……)すみません、話を戻します。
この劇場にいたのは、シアターゴーストと呼ばれるゴーストのグレイ。彼が現れた作品は必ずヒットするという噂まであるのだとか。この日もグレイはいつも通り芝居を見ているのですが、そこにフローという女性が訪ねてきます。16歳の時に神の声を聴いたことからゴーストが見えるようになったというフロー。クリミアで従軍看護婦になるという夢を家族に否定され、生きる意味を見失ったために、グレイに殺してほしいと懇願します。自分の姿が見える女性の存在に困惑しつつもはじめは断っていたグレイですが、最終的にはフローが夢を追い、その先で失敗し絶望したら殺すという約束をします。
この時、グレイは「面白い」という表現をします。今殺すより、絶望しきってから殺すほうが面白い、と。初めはそういうキャラなのかと思いましたが、後々考えてみれば、グレイは「ほら見たことか、やっぱりこういう女は失敗するのだ」と証明することができればいいと、どこかで考えていたのではないかと思います。どういうことか、説明しますね。
グレイの人間であった頃の人生は、本人の話していた通り裏切りで始まり、裏切りで終わっています。
特に重要なのは、最後の裏切り。恋焦がれた女性に捨てられ、当時騎士であったデオンを差し向けられて殺されたことです。
このことから、グレイは人を信じること、特に女性を信じることができなくなっていました。
つまり、「フローもどうせ俺の思った通りの女だ」という風に考えることで自分の弱さを正当化し、自分を守っていたのではないでしょうか。
自分で書いていて切なくなってきました……
その証拠に、時の流れとともに、グレイの口調や態度が温かく優しいものになっていきます。だんだんとフローに惹かれていくんですね。話の内容から考えてこんなことを言うのもおかしな話ですが、いつまでも夢を絶やさないまっすぐなフローの心に溶かされていく様子は、見ていてとても心地よかったです。その中にある混乱や迷いが人間らしくて、美しくて。
こういう演じ分けができるんだから、本当に役者さんってすごいんですね。特に舞台は、感情をより強く、強烈に表に出さないと遠くのお客さんには届かないですから。それでもいやらしくならないように表現していかなければならないのも、大変な部分なのかもしれませんね。
あさぎは演技とかしたことないのでわかりませんが。ひええ、未知の領域。
皆さん演技とても上手くて、さすが四季さんだなって感じなんですが、特にグレイ役の萩原さん、声がとにかく綺麗で、歌も上手くてびっくりしました。口から音源でしたね。あとは振付のお仕事をしているだけあって、細かな動きが綺麗なんです。とても役にぴったりハマっていて良かったです。ここ最近舞台ばっかりでミュージカル観てなかったので、細かいところを見分けられる年齢になってみるとやっぱり違うぞというのがよくわかりました。
そして自分の過去の話、グレイは初め、嫌がって話そうとしませんでした。そりゃあそうですよね、嫌なことは思い返したくないし、人に掘り起こされたくもないもの。
でも、グレイはフローに打ち明けることを選択しました。それも自ら。
これが一番の心情の変化の表れかなと思います。
本人はつまらなさそうな顔をしてどうでもいいことのような言い方をしますが、この話をするために一体どれほどの勇気を振り絞ったのでしょうね……
加えてもう一つ話すなら、グレイの「霊気」の使い方が、とても性格出ているなと。
そもそも霊気というのは、グレイがゴーストとして活動(壁をすり抜けたりとか)するのに必要なエネルギーです。空気中に存在しているものらしく、人から何かを奪わなければ存在していけないゴースト(血を吸うバンパイアみたいな)たちとは違う、俺は空気さえあればどこにでも存在できるのだとグレイ自身が言っていました。霊気があれば人の魂を麻痺させることもできるそうです。ただ、魂を麻痺させる行為は大量の霊気を消費するんじゃないかと思うんです。グレイが作中で何度かやってますが、デオンの言い方からしてそんなに軽率にやっていい芸当ではないのではないかと。あと、空気さえあればとか言ってたのに霊気不足になっていたのを見ると確実かなと。
私はこれを特に初めに行った時のシーンに注目したのですが、状況を整理すると、
・家族がよってたかってフローの夢を否定している
・「病院は貧乏人のための施設だ」「医者は金を搾取する汚い仕事だ」のような内容の発言
→これに強く反発し、父、母、姉の3人の魂を麻痺させた
という感じになります。
この頃はまだ例の約束すらしていない状態ですから、フローに手を貸す義理など一切ないはずです。彼女のことを信頼してもいなかったはずですし。それでもその行動に出たのはなぜか。
ずばり、フローの魅力に気づいた初めてのシーンだったからではないでしょうか。自分の予想に反してあきらめない選択をしたフローに興味がわいて、夢を追いかけていくところを少し期待したとか。それが例の約束をしようという決断に繋がっているとも考えられます。まあ、彼女の家族の発言が癪に障っただけなのかもしれませんが。
でも仮説が正しいとすると、先ほど考察した「やっぱりだめだったじゃないか」と自分が間違っていないことを証明しようとする行動に矛盾が生まれますので、その行動の裏に「彼女なら自分を救えるのではないか」という救いを求める気持ちが残り続けていたことになりますね。フローから自分の知るどの女性とも違うものを感じたんですかね。どこまでピュアな人なんだ……(震え)
でもその方が人間らしい気がします。だって、人を信じられないままじゃ辛いはずですもの。自分では割り切っていると思っていても、感情ってそう単純なものじゃないですよね。複雑で矛盾だらけで、どっちが自分の本音か分からないくらいの方がいいっていうか。
こういう節々からにじみ出るグレイのピュアッピュアなところが好きすぎて終始身悶えしっぱなしでした。最後のシーンなんて、別れの寂しさと切なさありつつ、それでも確実に存在する二人の幸せに涙ぐんだ人も多かったのではないでしょうか。あの世界線における物語の終着点として最適解だった、とでも言うのかしら。キャッキャウフフのハッピーエンドではなかったですが、いちばんしっくりくる終わり方だったのかなと思います。
個人的には、あの場にボブ(というゴーストが見える少年がいたんです、あのシーンはもうおじいちゃんだったけど)がいてくれたのも良かったです。彼がいなければ二人の再会と幸せを知る人はどこにもいなくなってしまうんですものね。あの場所、あの時間を生きて見届けたボブの存在には強い意味があったのだと思います。ああ良かった、彼女は幸せなんだという気持ちも安堵もありつつ、でも自分の元からは離れて行ってしまう、残された人間の寂しさは消えない。それでも生きていくことの素晴らしさを、命の尊さを、この世のどこにもない視点で眺めているようでした。
また、あとからこの物語を私たちがライターとして伝え聞いて繋ぐ、100年先も幸せがそこに存在する事実が確かなものになる、というところがまた良くて、観客なのに物語の終着点に立っているような、私たちが意味のない傍観者でいる普段の舞台とは違う、不思議な感覚でした。そこがより深い没入感の正体とも言えるかもしれません。よく子ども向けのミュージカルや映画で一緒に歌って助けてあげよう的な展開がありますが、そういうのとも違う、もっと自然でフラットな、かつ強い繋がりを感じられたと言いますか。
とにかく好き好き大好きの設定てんこ盛りだったので(個人的すぎる)いろいろ観てきた芝居ヲタクの私ですが、トップレベルで好きな作品でした。何度でも観たくなります。今度は原作を読んで、それからもう一度観に行こうと思います。またnoteを書くかは分かりませんが、視点や見方が変わった!発見があった!とかあればまた書きなぐるかもしれません。神出鬼没で申し訳ないですが、その時はまたよろしくお願いします。
喋りまくりました。考察しながら自分の思考回路がヲタク過ぎて自分で面白くなってしまいました(笑)
語彙力がもっとあればうまい事説明できた部分もあったのでしょうけど、これじゃあ脳みそがいくつあっても足りませんね、命も...…
散々ネタバレしといて言うのもなんですが、見てない人はぜひ「ゴースト&レディ」まっさらな気持ちで観に行ってみてください。ミュージカルの印象変わると思います↓↓↓↓↓
最後までご拝読ありがとうございました。
また会いましょう!!!