本質って何だろう② ~心学の道と心法の道~
今日は、武道における考え方から本質について考えてみたいと思います。
まず、皆さんは武道の心得というと何を想像しますか?
武士道という言葉を連想する方もいらっしゃるかもしれませんね。
目上の相手は敬いましょうとか、忠君愛国とかとか。
武道といっても大きく2つの見方ができると、私の師範は仰っていました。
それが、”心学の道”と”心法の道”です。
少し歴史を振り返ってみますと、実に長気にわたって”武”が大きな力を持っていました。日本でも、平安末期から江戸まで700年ほどが武士の時代だったと認識しています。
戦国の世に代表されるように、まさに"武”が生き抜く為の直接的な力であった時代もあれば、江戸幕府による封建制度下で生き様や教養として間接的に"武”が求められることもありました。
前置きが長くなりましたが、
心学の道とは、時代が要請する社会的倫理を教育する手段として
武道に外から求められた道
心法の道とは、万人に与えられた宇宙真理のもとで、
武道により命の力の使い方を探求、発揮する道
つまり、前者(心学)は時代や社会によって変容する可変的なものであり、
後者(心法)は普遍的なものだと説かれています。
(ちなみに武士道はこの場合、前者にあてはまる)
そして、心法の道を現代的に実践するのが合気道であると学びました。
言い換えると"己の命の力を高め、その活用法を習得すること”
(以下、私の解釈ですが)
身体的アプローチは、物理的法則を受けるので非常に分かりやすいです。
例えば、地球上で本を高いところで離すと重力によって落ちる。
合気道では、自分の状態や力の出し方が適切であれば難なく相手を投げられる(はず。まだまだ修行不足です笑)
逆に自分の状態が悪かったり力んでしまうと相手は動かない。
人の主観という曖昧で頼りないものではなく、万物の原理原則に則ることで明確に正しさを測る探求することができる。
身体と精神のつながりは深い為、正しい状態の時の自己の感覚や精神を客観的に捉えることで、合気道以外の日常や仕事でもより良い命の使い方を実践できるのでは。
と考えています。
結局何が言いたかったかというと、
「どの領域にも原理原則があるはずで、可変のものと普遍のものとを区別すること」が本質を考えるうえで大事なんじゃないかなぁ…ということです。
私は、これから教育(共育)のお仕事をしたいと考えていますが、
教育における原理原則は「一人一人の子供の自立心と知恵を育むこと」なのではないかなと仮説を立ててみてます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?