生臭い
20201118
娘はこのところ毎晩のようにオシッコを漏らす。
日中はパンツをはいていて、自分でトイレに行ける。
夜寝てる間に起きてトイレに行くのが難しいみたいで、だいたい毎日漏らしてる。
もう紙おむつははきたくないらしく、小さい頃使っていた布おむつをつけて寝る。
そして朝起きるやいなや、布おむつを脱ぎ捨てパンツをはく。
びしょびしょの布おむつはタライの中の水に浸しておいて、後で洗濯をする。
「都会で一人暮らしで、連れ合いや子ども、ペットがいないと自然から離れるよね」
みたいなことを、よしもとばななさんが書いていたと、妻から聴いた。
ここでの自然ってのは、生々しさなんだと思う。生きることにまつわる生臭さ。
娘や犬との生活を思い巡らせて、生臭さを想像するに、排泄だ。
これ以上の自然、文字通りの、生の臭さはない。
都会に限らず、近代化とでも言うべき便利な生活は、糞尿の存在を消していく。
かろうじて、みずからの身体に残っていた自然も、水洗トイレはキレイさっぱり洗い流す。なかったことにできる。
連れ合いがいることも、子どもやペットがいることも、全く偉いことではない。
複数でいようが、一人でいようが尊い。
ただ、一人での生活は、うんちから離れていきやすい。それは意識的になれた方がいいのかもしれない。
どうしようもなく出てしまうみずからの排泄物を、意識的に吐き出し、観察する場。
言葉を書き留めるのは、排泄の観察の場としてうってつけなのかもしれない。
自分が毎日言葉を吐き続けるのは、トイレなんだなあと思う。
公衆の面前で排泄し続けてると思うと、申し訳ない気持ちも、多少はあります。