べきという思い込み(よしもとばなな『Q 健康って?』)
20200817
よしもとばなな『Q 健康って?』をパラパラと読む。
ばななさんが健康にまつわる実践をされてる方々と対談したり、ばななさんの友人で末期癌の方について書いてあったり。
各章の冒頭読んで、これはオモロそうや、と楽しみになる。
それと同時に、例の憂鬱さがやってくる。
うらやましい。
専門をもって一つのことを極めんとする人をうらやむ気持ち。
一つのことをずっとやるっていうの、僕は飽きちゃう。
これまでの、失敗というか不調は、生き方や働き方を、一つに統合しようとしすぎたんだと、あたりをつけている。統合するだけでなく、外の基準にあわせていくような。
だいたいは「こうすべき!」っていう思い込みでしかないハズ。世の中の一般常識をベースにした、生き方や働き方に対する思い込み。
そういった思い込みからは限りなく自由に、心身の心地よさとそれを実践できる環境をつくることを追い求めてる。
それを追求した先におすそ分けとして誰かと一緒に楽しめたり、誰かを救えるセッションが待っているのかもしれない。
今の自分の心地よさは、アレやコレややって、つづけていくこと。
そこは暫定的にゆるぎない。
ただなんです。
そうは言っても、職人肌というか、一つのことをやりつづけて人を救っている人をみると、輝かしくみえてくる。
嫉妬です。
その道50年っていうのが正義に思えるし、自分のフラフラしてる感じへのチクチクする視線を勝手につくりあげたりするときもある。
と、ここまで書いて、『Q 健康って?』にふれてザワついた緊張みたいなのはもうないです。
(落ちついて言葉にするだけで、大体の悩みや緊張はなくなるし、まるで作品かのようになる。ありがたい笑)
自分が心地よくできることをやるだけ。
って意識的によく言ってる気がするけど、それは自分がそうでなかったから、プラス、自分がそうであって欲しいと思っているからでありますわ。
ああでもないこうでもないと、心地よさの精進を重ねて、“群れずに群れでセッションすること”を地でいきたいものです。