子どもが現れた
20200926
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妻と僕とだけって関係は、それはそれは清らかだった。淀みなし。
結婚前からの付き合いふくめて人生半分くらいに一緒にいるし、生きてきた中でまちがいなく一番仲がいいというか、束縛のない自由な関係。
子どもがうまれて一変する。天候は嵐、濁流。
変貌した流れに最初に放りこまれたのは妻だった。
娘とむきあう24時間。
妻と僕との生活はいつのまにか清流ではなく暴れ川になっていた。そんなことを察するのに、僕は、娘がうまれてから2年ほどかかった。
世の中でイクメンと言われそうなことは、している自覚はあった。
そのころはまだ会社勤めだったけど、洗濯や皿洗いなんかの家事はしていたし、娘の風呂やら排泄関係もそれなりにやっていたと思う。
ただ飛びこんではいなかった。あくまで、河岸から声かけたり、救援物資を渡すような。
妻がボロボロらしいってことに気づいてはじめて、ああそうか僕は父親になってしまったんだなと悟る。
そしてやっと、子育てするチームとして妻と娘のいる場所に飛びこむことを決めた。
妻の24時間育児をどれだけ減らせるか、が主題になる。
それまでのスタンスは、自分が何かをするかってことに眼がいっていて、妻の状態に気は回ってない。
自分が何をこなせたか、ではなく、妻の状態はどうなっているか。
イクメンはすばらしいんだと思う。ステキです。
それに、飛びこまないまま、大切な人たちを助ける術はいくらでもある。お金を支払ってうけられるサービスはたくさんある。
ただ、妻と娘と僕とがいた環境で、即効性があり効果がでるのは、飛びこむことだった。
それから妻は、娘を保育園にあずけるようになって仕事も再開した。娘が多少ききわけがよくなったこともあって、流れはだいぶ穏やかになった。
僕が会社をやめるっていう瞬間最大風速は叩きだした気はするが、なぜだか落ちつき、子どもが生まれるまえを含めても、今が一番妻とうまくいっている。
といいつつ、娘のことで苦労するのは変わらない。しょっちゅう疲れる。
それで疲れた顔をしていると、娘はそそっとよってくる。
「さっきはごめんね。仲直りしよ!くすぐってもいい?たかに笑ってほしいから」
と、これでもかっていうかわいい言葉のプレゼントをもらう(自分で最後のセリフをうちながら泣きそうになる😭)。
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